空一杯の見事な夕焼けでした。このような夕焼けは実に久しぶりです。
宗忠、天照太神のご開運を祈る
宗忠神は縄文時代から伝わる太陽への信仰を更に高めて広めた方です。
従来の国家神道としての天照大御神とは異なります。一言でいえば国と天照太神の関係を個人と天照太神の関係にしたことに深い意義があります。
更に「神の御開運を祈る」という祈りにより「親神として感謝すること」で、祖先の先の血の繋がりのイメージまでにしていることです。
自分と親、先祖、神と霊縁で結ばれる形です。そうすれば神は身近な存在になってきます。ご先祖の先が天照太神になって自己との親近感がぐっと増します。
大自然に生かされていることへの感謝と「せめてもの恩返し」が見守り神への御開運となります。天地の親神である天照太神への感謝である。
神を観念的にとらえると形而上学的になり、届かない遠い縁になり忘れ去られる存在となる。
まさに現代がそのようになっており、無宗教とは神との親近感の完全欠如である。ご開運を祈ることにより神との距離がぐんと近くなるのです。
かつて阿弥陀様を信じる妙好人が真夏の暑い日に、仏壇から阿弥陀様の仏画を取り出し、縁側につり下げて仏画にふーっと息を吹きかけ「暑い、暑い、どうぞ阿弥陀様も暑いから涼んで下さい!」と拝んだ話があります。
妙好人は腹の底からの信者ですから、まるで身内の世話をするような心境だったと思います。
この阿弥陀仏との肌感覚に近い親近感が大事です。仏の血の温もりを感じ取るのです。
神への御開運を祈る事により、まるで実親から褒められるような感覚です。幼い頃母親の家事を少しだけお手伝いして褒めてもらう、そのような経験を味わう。
天命直受
宗忠が天照太神を単なる観念的大神として捉えていないことは随所に見られる。
労咳により危うく命が無くなる寸前までに至った時、宗忠は瀕死の床から今生最後の朝日を拝み、死を覚悟しました。
絶命までにもう一息か二息で亡くなるその時、山の端から昇った陽(ひ)の光がぐんぐん大きくなり、宗忠めがけて飛び込む経験をしました。
彼は感激のあまり思わず陽(ひ)のかたまりをごくんと呑み込んだという。これが有名な天命直受(てんめいじきじゅ)です。
その日は文化11年11月11日(旧暦)の冬至でした。1が6つ続きかつ冬至です。宗忠が生まれたのも子(ね)の年、子の月、子の刻の冬至です。
人知ではとても考えられないことです。宗忠が大活躍することを神から予め告げられていたともいえます。
この天命直受の時は表現も出来ない大歓喜であり、大感激であったと宗忠は話しています。
「その時の心地爽やかに、こころよかりし事いいようもなし。雲霧の八重に打ち覆いたる空のにわかに晴れて、譬えようもない」とあります。
感激のあまり三日三晩自宅の前を通る人にも聞こえるほど、大きな声で笑いつづけたという。
禅修行者が数年、数十年の苦心努力の末師匠のもとで、大悟する時の話が古来多く伝わっていますが、三日間も笑い続けたという歓喜の話は聞いたことがありません。
この経験を通して天照太神との霊縁が単なる崇拝目的ではなく、天照太神との魂の結縁を深く体験されたと思います。太陽神の分け御霊(みたま)いわゆるご分心(ぶんしん)です。
この天命直受の経験から奇跡的生命の回復をしました。これから無数の奇跡的事柄が現代の今尚人々に起きています。
感謝の念 集中して祈ろう!
又このような最近の感謝の例があります。
ほぼ助からない病でなんとか助かり、食事はおろか水さえも飲めない病室のベッドで、出来ることは『ありがとう・ありがとう・ありがとう…』と呪文のように呟くだけでした。
又命が助かったけど、必ず後遺症は出ると言われてました。しかし今では病気になる前より元気になりました。やはり『感謝』は凄いです。
宗忠の「有り難きことのみ思え 人はただ今日のとうとき今のこころの」の歌があります。
或る重症の結核患者があまり余命がないと医師から宣告されて、体温計を持つと重たく感じるそうです。
その位体力が落ちていても有難いの感謝から回復できる例があります。心が変われば体も変わり、今のこの時を生きさせていただく尊い感謝は命を救います。
感謝の気持ちは偉大です。喜びの感謝の念はたとえ瀕死の重症であっても、症状を劇的に変えてくれます。
命が無くなる寸前でも、感謝一つで復活できたような奇蹟は多くあります。結局肉体ではなく心です。
天照大御神のご開運を祈り奉る
誠から祈れば神はあらたなり
神の心で神を祈れば
宗忠は伊勢神宮への参拝を生涯6度参宮しています。一か月も要する長旅です。
伊勢の神官から「はるばる備前岡山から御参宮ですが、一体なにをお祈りされますか?」と聞かれて
「畏れながら天照大御神のご開運をお祈りしています」と予想外の返答に、再度聞き直した神官に答えられたお言葉です。
「我が願いはただ一つ。天照大御神のご開運を祈り奉る」と凛と澄み切った声でお答えになったとのことです。
宗教界の専門家がコペルニクス的大逆転の発想の祈りと仰天した金言です。一番奥深いところをズバリと道破した言葉といわれています。