日拝治療法(2)

 

 

朝日を飲み込む (日拝治療法) 

 

朝日を見て、まずできるだけ長く静かに息を吐きます。それから自然に息を吸い込みます。

 

吸い込む際にゴクリと水を飲み込むように、下腹に息を静かに押し込むようにします。

 

そして呼吸を整えて手を合わせて深く感謝します。これを5~10数回繰り返します。

 

朝日だけでなく散歩中でも日が高く昇っても、お日様に向かって何回も行います。そして「有難うございます」と心の中で、お礼を言います。

 

そして病気を治したい場合は「必ず治ると信じること」が大事です。本当に治るのかどうか疑っては逆勢の法則より効果が半減します。

 

この一連の行為をサッと無理なく無心でやれる様に習慣化します。

 

 

 

*  感謝と呼吸はいつも一体化して行います。人や車が側を通っても、そちらに気をとられないように集中してやっていきましょう。

 

* 日拝で肉体・精神共に健康になられた方々は、過去数え切れません。この点は自分の体験上自信をもって保証できます。感謝して日の光をいただければ、必ず活きた力を授かります。

 

*うつ病や気分の落ち込みにも効果があるといわれるのは、お日様を見て脳内のセルトニンが活性化する為で、うつ病療法や気分を明るくするやり方として昔から日本や西洋で有名な治療法です。

 

聖なるお日様が全ての生物を育て成長させてくれることを肌感覚で分かるようになると、明らかに気分が変わって嬉しくなり感謝の気持ちが自然に湧いてきます。

 

又難病や後遺症にもとても有効で、薬ではなかなか治りにくい病も治せます。「必ず治ると信じること」がポイントになります。

 

地平線からでる朝日を、この時だけは肉眼で見てもいいとされています。雲と朝日の姿は、毎日変わり我を忘れるほどの美しい風景です。

 

ただただうっとりと見つめています。日の出の際の燕の動きが明らかに違います。捕食活動ではなく、全身で朝日を楽しんでいます。

 

燕は高所から一気に急降下したり、群れをなしたり、鳥達の動きは新鮮で実に活発です。命の躍動が最も顕著に感じられるのは日の出の前後です。

 

我々日本人は遙か太古から日の出を尊く拝んで、信仰の対象にしてきました。日本各地の山頂には太陽崇拝の遺跡が多く残されています。

 

日本を始めエジプト、ペルー、オーストラリア、英国等全世界に太陽崇拝の古代跡地があります。われわれ現代人もこの習慣を取り戻して大切にしたいものです。もう一度心が清々しくなる太陽礼拝を取り戻しましょう!

 

日拝は大自然を全身で味わいながら感謝の気持ちが、自然に湧いてくるすばらしい健康法です。自分も日拝を人生の一大目標としています。

 

自分の庭から見える太陽を画像に載せました。皆さまも日拝を実地に経験して爽やかな朝を、十分に楽しんでください。

 

皆様のご健康をお祈りします!

 

 

 

 

次に呼吸法のやり方をもう少し付け加えます。

 

 自己の長い坐禅経験から言えることは、その人に適したやり方を自分流に工夫することも大事です。マニュアル通りにやろうとすると、どこかで無理がおきることもあります。但し自己の癖を放置せず、正しいパターンに合わせることも時には大事です。

 

矛盾することを言っているようですが、要はトライとエラーを繰り返しご自分が綿密に工夫して、無理のない呼吸法を見つけていくことです。それが継続できる秘訣となります。

 

世に健康法は無数にありますが、これだと決めたら継続していかなければ全く効果は期待できません。継続期間の一応の目安は3か月、3年、10年と思います。

 

* 小生は2019年末、圧迫骨折と抗生剤の副作用のため体調不調に陥り、一時うつ気味になりましたが日拝で回復しました。

 

日光はビタミンD等の重要栄養素形成に不可欠です。他にも日の光を浴びることは人体に多大の恩恵があることが、国内外の研究結果で明らかにされています。

 

尚太陽フレアが最高ランクのXレベルまでになってきましたので、太陽フレアによる精神的、肉体的影響が最も大きい年と言われています。

 

日拝治療法(1)

日拝治療法(1)

朝日を飲みこむ 日拝治療法  

 

 

毎朝感謝して「*どうぞ我が病気が治りますように!」と心から祈り*朝日を下腹に飲み込むことを繰り返せば、病気の類は快方に向かいます。たったこれだけです! 感謝を忘れずに!

 

本当に治るのかという疑惑は不要です。筏(いかだ)仙人の話は疑惑を徹底してなくしています。又最後の右手すら放しています。つまり「疑いと臆病」な気持ちを断固排除する必要があります。

 

この「疑惑と臆病」をなくせば奇跡は起こり、或いは一度に治らなくても快方に向かいます。どうしても最後の決めどころは、本人の覚悟と決意にゆだねられます。

 

黒住宗忠教祖は心を活かせば、肉体も生き病気も治ると仰せです。又感謝の誠に徹せよと言われています。天へのお任せと感謝が全てになります。

 

太陽の自然療法

 

お断りしておきますが、hinomotoは皆さまに奇跡の事実と魂の在り方をできるだけ多くの人に知ってもらいたいとの願いの下に書いているだけで、インストラクターでもスピリチュアルでもありません。

 

このブログを見て自ら検証し、ご縁になれば幸いです。

 

太陽の不思議というか、天照大御神の活きたエネルギーを掴み取ることを目的としていますので赤木忠春高弟のように一発で掴むような方も、どこかにおられるかも知れません。

 

見えない世界が相手ですから、ご自分で納得できるまで十分に調査して取り組まれることを望みます。

 

新治療法について

 

そして近い将来に太陽の偉大なる力が病気・精神の具体的治療法として、人類のために確立されることを期待し祈っています。

 

最後に多くの人が、陥りやすい注意すべき点を申し上げます。

 

治りたい一心で、早く治してくださいの気持ち(焦り)だけが先行してしまいますと、自我が出ますので治らない結果になります。結局中途挫折してしまいますので、ご注意願います。

 

*人によっては「病気が治りました!」と過去形にするやり方もあります。

 

*太陽エネルギーは朝日と夕日が最も強いと言われています。最近は太陽フレアが最大級のXレベルまでになっており、聖なるエネルギーの極限値に達して5次元地球へ移行中です。

 

人類の覚醒、集団意識まで太陽光の影響が及び、太陽フレアのあぶり出し効果(高波動調整)により、闇の暴かれるニュース(政界・芸能界・実業界・各個人)が世間に溢れています。

2月の高市政権の衆議院選挙も終わりました。この結果も国民の目覚めでしょう!楽しみです。尚当方は自民びいきではありません。

 

 日拝治療法(2)

 

 

 

 

 

 

 

 筏(いかだ)仙人の話

赤木高弟の開眼 筏(いかだ)仙人の話 

 

 

筏(いかだ)仙人の話

 

 

昔あるところに正直正兵衛という阿呆なくらい正直な男が、仙人の住むと言われる蓬莱国(ほうらいこく)に死ぬほど憧れて、そのような国に是非とも行ってみたいと思い焦がれていた。

 

会う人ごとに「蓬莱国は知らないか」と問い回り、ひたすら旅を続けていた。だが誰も知る人もなく教えてくれる人もいない。それでもひたすら諦めずに、とうとう出羽の国(秋田県)まで探しに行った。

 

そこで悪賢い米商人と出会って、米商人はこの馬鹿な正直正兵衛を騙して利用してやろうと考えた。しきりに探している正兵衛に「教えてやるが、それには3年間米を踏んで休まず働いたら、褒美として蓬莱国を教えてやろう。」とタダ働きをさせた。

 

その話を信じて正兵衛は無我夢中で懸命に働き約束の3年の日が来た。「今日で約束の3年が経ちましたので、蓬莱国を教えてください」とお願いした。

 

米商人はいろいろ思い巡らし、騙して働かせたことを白状するどころかこの男を殺し亡き者にしようと計画した。

 

「そうか約束の3年が来たな!今晩約束通り蓬莱国へ案内しよう。ついて来い!」と近くの断崖絶壁に連れて行った。

 

「いいか、わしの言う通りにしろ。あの木に登れ!」と命じた。その言葉を信じ切った正兵衛は、断崖絶壁に突き出ている木を言われるままに素直に登っていった。

 

そして登った正兵衛に向かって「足を放せ、左手を放せ」と次つぎに命令した。そしてとうとう最後に残った右手すらも放せと言った。

 

信じ切っている正兵衛は、その右手も放してしまった。そのまま谷底に落ちていったかに見えたその時、にわかに雲が現れて正兵衛をそのまま乗せて天の蓬莱国に運び去って行った。

 

後は天上の楽の音と芳香が漂い、悪意のある米商人の心も清めたという。これが筏仙人の話です。

 

 

筏(いかだ)仙人の話の真意とは

 

馬鹿なお人よしを騙(だま)す話に見えますが、実はとても深い含蓄ある内容の話です。禅に香厳上樹きょうげんじょうじゅ)という公案(師匠より禅学徒に課す問題で理屈では解けない超難問 )があり、それとよく似通った内容です。

 

この公案は禅の熟達者向けで、究明してもなかなか難しい上級者レベル(難透)として知られています。この禅問答のほかに、高い場所で両手を放す百尺竿頭の公案もあります。いずれもギリギリの心境を修行者に問いております。

 

宗忠教祖がこの話をされたのは禅問答の心境の側面からではなく人の誠(まこと)を取り上げておられ、「信じきることの大事さ、尊さ」たとえ相手が邪悪な心を持っていようともご神力に必ず通じることを述べておられます。

 

 

赤木高弟の大感激

 

 

赤木高弟がこの話に大感激されて涙を流され、その場で「8年間の失明が治り開眼された」のは有名な話であり、やはりそれだけの理由があるように思われます。

 

宗忠様のお力と赤木高弟の大感激の誠が天に通じたことです。結局信じ切ることは全てにかなうことになります。病気が治るだけではなく一切が成就します!此のことに全てが尽くされているようです。

 

終生 赤木高弟は宗忠様のご恩に深く感謝され布教行動に邁進されました。その後の行動がすべて宗忠教祖中心であったことは、高弟の歌に宗忠教祖への一途な賛歌が多い事に集約されています。又吉田神道への命がけの「大明神」請願行動もあります。

 

初めての説教で筏仙人の話に深く心を打たれ、神のご神徳を宗忠様を通して「おかげ」を受けられたことがすべてでした。学問があるが故に疑い深い知識人だった赤木高弟が、神への信仰に大転換された話です。

 

宗忠様の奇跡的治癒には、必ずといっていいくらい大きな感動と感涙が病人側にあります。

 

現代医学や物理世界・三次元世界をはるかに超越した神(天照大御神)・宗忠様と病人の3者の高い波長が瞬時に治癒を呼び込むのでしょうか。それが誠の世界なのでしょう。

 

筏仙人の話を理性的に判断すると単なるおとぎ話になりますので、真の意味は何であるかを問い何回も読み考え、噛み味わう必要があります。

 

*後述 2026年2月17日 

この話のポイントは「信じ切る」という一点にあります。実は数年この話が絶えず念頭にありましたが、信じ切ることは表層意識ではできますが、深層意識の下ではかなり難しいことが分かりました。

ついつい自分の気持ちがぐらついてしまうのです。絶え間ない日常の修練無しには出来ないなと悟りました。

勿論ここまでいかないと本物ではありません。皆様是非試してみてください。

 

高弟の開眼における奇跡は特定の人だけのものではなく我々凡人でも、皆等しく体験できるものです。神が人を差別するはずがありません。神の領域に人はだれでも入れる資格を持っています。

 

医者が匙を投げるような難病すらも必ず治せることは、すべての人に現れる現象ですしその人の信念によります「どうしても治したい!治してあげたい!あなたの一途な気持ちは神に必ず通じます!」

 

諦めないで、挑戦してみませんか!治る訳がないと思わないで、奇跡を起こしてみませんか!」

 

 

 

 

 

 赤木忠春高弟 目がみえる!

 赤木忠春高弟 目がみえる!

 

 

 

 

 

 

 

 

現代医学ではとても考えられない想定外の事例(難病が治る)が、奇跡として起きたことです。

 

医者と薬だけが唯一頼りの今の世界からは、恐らくたわごとに近い話かも知れませんが今後もっと注目される治療方法になる可能性を秘めています。

 

「難病」の治癒にお役に立つことを願っています。

 

過去無数といえる位の数多くの奇跡的病気治しの例が、頻繁に起きたという厳然たる事実あります。

 

以下紹介する話でhinomoto自身は黒住信徒でもなく、教会にも属してもおりません。又入会案内への意図も全く持っていません。このことを予めお断りしておきます。

 

ただ黒住宗忠(江戸時代後期の人 池田藩の一神主でした)個人を信奉しているだけです。お慕いしていると言ってもいいし、日本のキリストの再来とも思っています。

 

注目すべきはワクワク感重視の点で、あのバシャールの伝えたい言葉と宗忠教祖は共に共通な面が多々あります。そして「嬉しい、楽しい、わくわくの世界」を始めて唱えられた方でもあります。もっとも当時にはワクワクの言葉はありません。

 

又宗忠教祖は冬至に大変縁の深いお方ですし、今も宇宙のアセンションに働いておられるであろうと考えております。

 

自分の体の不調な時期に宗忠教祖と太陽のおかげで、ここまで治していただいたと心から感謝しています。自然のものすごい治癒力を腹の底から実感しました。

 

 

 

 赤木忠春高弟の失明が治った話

 

 

赤木忠春高弟と言えば多くの黒住門徒の中でも、最初に名前を挙げられるほどの高名な方のお話です。この話題を取り上げたのは現代でも難病である緑内障を江戸時代に薬も使用せずに、即座に見えるようになった奇跡の話です。

 

赤木高弟は若い頃22歳から30歳まで8年間もの長い期間失明されて、失望の中で暮らしておられました。その高弟が黒住宗忠教祖のお話を会場で聞いて大感激しておられるうちに、その場で目が見えるようになった話があります。黒住門徒ではよく知られた霊験です。

 

当時の緑内障(青そこい)は難病でした。医学の進んでいる現代でも、この緑内障はほぼ治りません。多くの医者に診てもらっても治らず、完全に失明され諦めておられたものと思います。

 

この苦しい現状を打破されたのは、高弟の叔父が宗忠教祖の病気治しのお話をされ「一度お会いなされたらいかがか!」と行くのを渋る高弟を宗忠教祖に引き合わされたことから始まります。赤木高弟が行くのを渋った理由は治るはずがないと決めつけていたからです。

 

集会場で宗忠教祖のお話をお聞きになり、そのうちお話にだんだん引き込まれ、激しく心を打たれました。

 

そして大感激のあまり「この尊いお方はどのようなお方か!」と宗忠教祖の方を振り返られると、なんと今まで見えなかったお姿がはっきり見えてきて、長年の失明がその場で回復されたことです。

 

「おお不思議だ! この目が見える、見えるようになった!」と感激のあまり大泣きされたそうです。

 

後に赤木高弟はこの奇跡的なご経験をいつも涙ながらに話され、一座の皆に自分の感激(おかげ)を伝えていたそうです。

 

この奇跡が起きた理由について

 

どうしてこのような不可思議なことが起きるのか?

 

まず赤木高弟は、最初は宗忠教祖の会場へ行って「おかげ(病治しの奇跡、黒住教独自の言い回し)」を受けるようにという叔父の話を何回も断っていました。奇跡なんて迷信だと決めつけていました。

 

禅にも「仏道には不思議はない」という言葉があります。「奇跡的なことは起こらないから、そういうことに期待するな!コツコツ励め!それが真の道だ」ということです。

 

奇跡そのものを否定し、自分の失明がそう簡単に治るわけがない。治るなんていうのは怪しげな宗教の勧誘であると、知識人特有の猜疑心から思い込んでいたふしがあります。現代もその心理は変わりませんね。

 

「叔父さん!せっかくですが私の8年間の失明は医術の力ではどうすることもできません。田舎の神主さんのおまじないで簡単に治るものでもありません!」と叔父のせっかくの誘いを何回も断りました。

 

叔父も「これだけ勧めても断るのか!」と最後にはカンカンに怒ってしまい「もういい!お前との縁を切る!」と縁切り話までになった話が残っています。

 

なぜなら赤木高弟はかなりの仏教、易、儒教の本を、読破した当時のインテリだったのです。知識人が故に理屈が先に立って治る話をデマの類と見なしていました。

 

叔父の参加要請が余りに強いのでとうとう断り切れずに、一緒に聞きに行った事情があります。そこで筏仙人(いかだせんにん・阿呆なくらいの正直者の話)の話を聞いて、深く感動して文字通り目と心の開眼をされました。

 

宗忠教祖のお話は人の心を活かす力をお持ちの方で説教時の迫力と力強さは、普通の常識をはるかに超えて人々を感動させ、神と繋がり多くの奇跡が生まれています。

 

この奇跡を黒住教では「おかげ」と言い今尚多くの霊験が行なわれています。

 

そのような霊験を叔父さんは宗忠教祖の会場にて数多く目の当たりに経験して、失明していた赤木高弟に勧めた経緯があります。

 

尚赤木高弟は後年驚異的な霊験を数多く発揮されています。たとえば京都で赤木高弟の噂や名声が高まり、ねたんだ人が境内社(やしろ)の廊下に嫌がらせをして死人を放り込んだ事件がありました。

 

この時「神聖な社(やしろ)を汚すこの不浄なものが!」と怒鳴り、何とこの死人を廊下から蹴とばされたそうです。そうしたらその蹴飛ばされた死人がむっくりと地面から起き上がり、ふらふらと歩き出して境内から出たところで、ばったり倒れた有名な話があります。

 

それを取り囲むように見ていた人々は驚きのあまり腰が抜け、震えて声も出なかったそうです。このような死人が歩き出すような霊力をお持ちの方でした。

 

他にも驚くような霊験を数多く残されていますが、直情家にして英雄的資質の赤木高弟は宗忠教祖の第一のお弟子ともいわれた方です。

 

このような「おかげ」はどうすれば起きるのか

 

ここからは読者の皆様と一緒に考えましょう!

 

前に述べたように太陽(天照大御神)のおかげで、健康と精神力は回復できます。太陽のものすごい力、恵みは日の出参拝毎に感じています。

 

宗忠教祖の教えには何か凄い活きたエネルギーが働いており、概念・知識ではなく体(からだ)でその活き物(いきもの)をしっかり掴み取れば、宇宙を貫く無限大の力が活かせるように思えます。

 

霊が主で体が従の教えです。

 

ここから先は読者の皆様もなぜ治ったのか、どうすれば起きるのか、ご自分なりに探求・検証されることも必要と考えます。

 

活き物(いきもの)という人生の宝が、お金・名声・地位より大事なものがそこに隠されているように感じるからです。

 

「今何故このような大混乱期に我々は生を享けてこの世に暮らしているのか」このことを解き明かすカギがあると信じて毎日を励んでいます。

 

次回に、筏仙人の話を提供して、どうして難病が治ったのかの理解の一助にさせていただく予定です。

生まれて始めての営業経験より

 

生まれて始めての営業経験より


不安を抱えてのスタート

 

今まで営業をやったことのない自分が、いきなり営業会社に飛び込んで、高校生を対象とした大学受験教室の営業生活を始めた。脱サラから再度サラリーマンに舞い戻った50歳位の時の話である。

 

始めの1~2年は営業成績下位の全く自信のない営業マンだった。稼ぎも少なく、大学、高校、中学進学を控えた育ちざかりの3人の子供をかかえて、生活に苦労して途方にくれていた。

 

生活に目途が立たない不安感がいつも頭から、こびりついて去らなかった。この不安感が自分を、猛烈社員に追い立てた原動力だろうと今にして納得できる。

30年経過した今でも、この不安感は忘れられない。恐らく死ぬ直前走馬灯のように過去の自己を見せつけられるという話の真っ先に出てくる様な気がする。「よく頑張ったなあー」と自分を優しく撫ぜたい気持ちになる。

 

営業成績が全ての世界は苛烈なものである。社員の人間性、個性、創造力すべてが、ひたすら契約をどれだけ取るかで評価される世界である。そして上下に振れる成績グラフが、収入としてキチンと反映される。

 

仕事の内容は電話営業で関心のある生徒宅に直接訪問して、教室での少人数クラスでの指導を勧誘する仕事だった。

 

今なら個人情報に抵触するような仕事であろうが、当時はまだ規制がゆるくまた大学入学が今ほど容易ではなく、親も成績の悪い子供を大学入学させるのに苦労していた。

 

かなりの高額の塾費用だった。そのことが営業をやっていて、最も心を痛めていたが偏差値のかなり低い生徒が教師とウマが合いエンジンがかかると驚異的に成績を伸ばしていき、難関大学を合格していく事実を、数多く見てきて驚いたものである。

 

頭はいいけど手のつけられない生徒が、東大に現役合格して生徒の親から「ようこそあの時うちの子を、勧誘していただきました!」とお礼のビール券をたくさんいただいたこともある。手を焼くこの生徒の直接指導にさんざん苦労をした先生を差し置いてである。

 

猛烈社員

 

そのうち営業成績も上がっていき、全国展開している多くの営業マンの中でいつもトップグループだった。この営業はとりわけ厳しい営業職種に属し、契約締結に期待できるコネ、紹介の類がほとんどなく毎月全員ゼロからスタートして、自力だけが頼りの実に苦労の多い仕事だった。

 

それだけに仕事に向かう時は、夜中まで各自アポ取り作業に真剣だった。仲間が自分に寄って来て「お前の側にいるだけでなんだかピリピリしてくるな!」とよく言われた。

 

仲間も肌で感じるくらいの仕事振りだった。ワークホリックと陰口をよくたたかれた。夜9時過ぎまでアポ取りしたこともあった。いや上役から強制的にさせられたのである。

 

必死になって仕事をしていつの間にか皆に号令をかけて「さあーいくぞー」と叫ぶ立場になっていた。テレビ番組のローハイドの掛け声がイメージとして浮かんでいたものである。

 

専務からは「君の仕事に向かう迫力はすごいね。感心するよ!」と半ば冷やかされ、ペースを緩めるように諭されたこともあった。執念がないと続けられない仕事だったように思う。

 

当然辞めていく社員も多かった。今でいうブラック企業に近いかもしれない。

 

表彰式の経験

 

年一回の京王ホテルでの表彰式では、派手なスポットライトを浴びてひな壇の階段を駆け上り,社長から優秀カップを受け取る光栄を何度も味わってきた。

 

大勢の中で名前を呼ばれて、多数のテーブルの間をワクワクしながら、小走りでひな壇に向かう時の天にも昇るような高揚感と達成感はとても忘れられない経験であった。

 

今でも映画のアカデミー賞受賞など、規模は全く違うけれど不思議に受賞者と喜びの共感を少し浸ることができる。少なくとも斜(はす)で見るようなことはない。

 

たとえ束の間であったとしても、ただ自分が誇らしくうれしかった。押しつぶされそうな生活の中で唯一のご褒美だった。

 

賞品として貰ったカナダのずっしり重たい大型メープル純金製メダルは、すべて売り払ってしまいとっくの昔になくなり今一つも残っていない。金高騰の今手元にあれば、1個当たり100万円以上はすると思う。多くの銘入り優秀カップも転居するたびに、邪魔の為捨ててしまった。

 

 奇跡が起きた!

 

それこそ命を懸けての営業努力の後には,信じられないような奇跡が締めの月末によく起きたものである。ガリガリの営業会社だから、月末時の「契約を取ってこい!」のプレッシャーはすごかった。

 

決まるまでかなりの日数を要する契約がその場ですんなり決まったとか、連続して次々に契約が成立したとか通常ほぼ起こりえない神懸かり的なケースが多数起きたのである。

 

そのときは個人の努力を超越して、天の助力なくしては起こりえぬ出来事と有難く感謝していた。お陰で、8年間の500件超の総契約数は恐らく社内でも自分位であったと思う。年20件未満の社員が大半だった。

 

人事を尽くしたあとの奇跡的な体験の数々は、いまでも忘れられない尊い宝となっている。天は間違いなく実在しているとの実感を得た。

 

今は思い出だけ!

 

ほとんど年間休みもとらず家族のために死に物狂いで働いた8年間の営業生活は、今ではすべて遠い過去の、自分の記憶の片隅だけに残されたものになってしまった。今はもうそれで十分満足である。

 

こうして天や神とのご縁を気づかせていただき、命の尽きるまでアセンションへの道を進むことが許されるのだから全く悔いはない。

 

これから起きるであろう26000年振りの人類の未曾有の大変化(金融崩壊、自然大災害、政治混乱、各地の戦乱、各国の歴史的大転換等)をこの目で見届けることができるのだから、命ある限りこれらの時代展開を俯瞰し、自ら身をもって体験しようと思う。

 

2026年度まさにこれらを体験中である。高市政権の日本、米国のトランプ、ロシアのプーチンは未だに混乱の主役である。世界は大動乱中の真っ盛りです。

 

後は天命に任せるのみである。わが営業経験に感謝 ! 

 

後記  

 

現在この営業会社は消滅してありません。上記の内容は誇張なく事実そのままを書きました。

 

ブログの最初に自らの過去のありのままを取り上げたのは、このブログ目的を理解してもらいたいとの気持ちからです。まず自分を認めてあげて魂の向上を目指します。

 

そのキーワードが言霊であり言霊の霊力です。念ずることにより具現化し、自己の願望を呼び寄せます。

 

「苦しかったけれどどこか自分には適職だったし、こんな営業はもうないだろう!」とか「周りからあなたは訥弁だが説得力があるとよく言われていたなあ!」 と惜しむ気もしています。

 

自らの教師的で負けず嫌いな資質を、知り抜いている職業とよくぞ出会ったものだとも思います。

 

当時の愚鈍な自分には少し目覚めるのにこれほどの過酷な厳しい経験が必須だったのでしょう。もっと楽しい気持ちで、仕事に向かえば状況は違ったものになっただろうに!

 

遙かなる宇宙の広大さと無限の自由を知らずに、がんじがらめの狭い3次元物質世界の中で必死にもがいていた時期でした。健康だからこそ乗り切れた生活でした。

         
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