神秘力への憧れ

神秘力への憧れ

 

今までに多くの奇跡にまつわる話を取り上げてきましたが、ここで注意しなければならない事があります。

 

単に自己満足だけの霊能力への憧れだけは,少なからず危険性があることを喚起する必要があるということです。

 

そういう自己満足の霊能力開発は、高次元のものではなく、低級霊魂のとりこになってしまう恐れがあります。このことは光明波動の五井昌久先生の繰り返し何度も念押しされたことです。

 

当人がそれに気が付かず、人の運命が分かったり、神のように霊魂の声を聴けるようになってきて、念願の霊能力を得た満足感に浸っている場合が多いとそのような危険性に陥ると聞いています。

 

いったんそうなると,その低い波動圏の世界から逃れることがむずかしくなり、普通人と異なった幽波動をまとった生活になってしまうのが怖いと五井先生は警告されています。

 

そのような人はなんともいえぬ変な雰囲気を醸し出し、常識的でない行為の傾向が見受けられるといいます。いろいろなスピリチュアルな世界でも多く見受けられます。

 

自己を人より高くみせようとする想念を目的とする霊能力や神秘的能力開発は絶対避けるべきものです。とかく人は一般にこの傾向性に陥りやすく、惹かれがちになりますので多くの人の弱点とも言えます。

 

一番大切な基本は霊能力や奇蹟は、個々の精神生活を深める為のもので、どんなに霊能力が優れても、謙虚・感謝の念がなくなると低い世界に落ちてしまうものです。

 

世の中が2極化した現在において、スピリチュアルな世界が、急に多く様々な面で出現してまいりましたが、この点は大事なポイントですので、心して惑わされないようにしたいものです。

 

「我の入った奇跡・霊力」は「見えない世界」として実現できたとしても、本質的に真の道とは異なる別世界ということになります。

 

真の道は魑魅魍魎(ちみもうりょう)を語らず、恐怖、地獄世界を語らず、自我を超えた大いなる調和と感謝、歓びの世界です。全体を俯瞰してなんとなく暗いイメージか明るいかで判別できます。ご注意願います。

 

 

宗忠教祖の弟子 星島宮子の生還

 宗忠教祖の弟子 星島宮子の生還

「いのちの教え」山田 敏雄著より  

 

 

 

6月25日

病気にかかった時

 

今回は以前書きました「いのちの教え」山田敏雄著より「こころ」のあり方について紹介いたします。

 

当ブログのテーマの一つは「病治し」ですが、今まで紹介した内容はすべて「目に見えない世界」を扱い「こころ」について論じてきました。今回は「どのような心構えが必要か」について案内いたします。

 

闘病という言葉があります。病と全面対決して治していく方法です。確かにhinomotoも風邪を引いた場合は、自分の中の風邪と対決姿勢をもって「風邪に負けるもんか」と強い気持ちで闘って治してきた自己実績があります。

 

それも一度や二度でありません。風邪を引いた場合気持ちを引き締め、気持ちが「だらけない」ように過ごし気合で治してきました。

 

これは病気が軽い場合は効果はありますが、かなり重症の場合は効果は少ないと思われます。そこで教祖は病と闘うのではなく「こころのあり方を変えよ」と説かれています。

 

瀕死の重病を「こころのあり方で治した事例」を挙げます。

 

1.危篤の弟子が立ち上がった! 

 

宗忠教祖の弟子で女流三傑と呼ばれた星島宮子は、大病を患い挙句に危篤に陥ってしまいました。大病を患い「おかげをいただきたい」と教祖に懇願していましたが、多忙を極めていた教祖はすぐ駆け付けることができず、宮子が危篤状態になって訪ねることができました。

 

そんなある日のこと玄関に人の気配がしたので看病の者が「どなたでしょうか」と問うと、よく響く澄み切った声で「黒住左京でござる!」とリンとした声です。

 

その声を聴くや否や危篤だったはずの宮子がむっくり起き上がり、玄関まで走り寄って「ありがとうございます!」とあとは言葉が続かず、じっと頭を下げて教祖を迎え入れました。

 

この様子を見た教祖は「あなたは大病で伏せておられると聞いていましたのに…」とここで始めて我に返った宮子は驚き「ああ、ありがとうございます!」と全身に感謝の念が溢れ、改めて返事をしました。

 

周囲の者も危篤状態で動くことさえできない宮子が、教祖を玄関まで出迎えたこの出来事にただ驚くばかりだったのですが、その後宮子の病気は信じられない早さで回復に向かいました。

 

実は宗忠教祖と宮子の師弟関係はまことに密なるものがあり、天照大御神と一体の教祖に対する尊崇の念は人一倍深いものがあったということが指摘できます。

 

宮子は危篤状態ではありましたが、心待ちにしていた教祖の直接の見舞いを受けて、その時の感激と感謝は驚くほど大きく潜在的自然治癒力を一気に驚異的に高めたものと思われます。

 

2.心臓発作が治る

 

同じような奇跡的に治った話が1950年(昭和25年)の夏女性信者の方にあります。その方は流産による出血の際に使用された麻酔薬によって、日々心臓発作に襲われるようになりました。

 

ある夜脈が数えられない程早くなり、息もできない状態に陥ってしまい、このまま死んでしまうと思われたそうです。ところが傍らで寝ている長男の顔がふと目に入り「この子を残して死ぬわけにはいかない。死にたくない」と強く思われ神棚にあった「道のしおり」を夫に取ってもらい、薄れそうな意識の中で懸命に大祓詞を上げて祈りました。

 

「 宗忠の神様この幼子を残して死ぬわけにはいきません。どうかこの子が成人するまで私に命をください。助けていただいたら、どんな辛い目にあってもどんなに貧乏になっても泣きません 」

 

すると大祓詞を7、8本上げたところで苦しみがサッと消えました。

 

その後何日か経って、苦しみの中で一生懸命お祓いを上げていると玄関の方から「ごめんください」と声がして紋付羽織姿の宗忠の神様が現れました。

 

ハッとして目が覚め夢だったことに気が付きましたが、有難さともったいなさで胸がいっぱいになり涙がとめどもなく流れ落ちました。

 

その夢を見た時から、薄紙をはがすように発作が治まり起き上がるまでになりました。その後さらに二人の息子に恵まれ当時3才だった息子も今は60歳近くになりました。

 

上記2例に見られる「ありがたい」の心は「天照大御神の永遠に生き通しの御心」そのものです。それが一つになった時に奇跡は生まれます。

 

生き死にも 富も貧苦も 何もかも

 

 心一つの用いようなり    宗忠教祖の歌です。

 

⁂ 尚現代医学で治せる病気は、当然ながら薬等を用いて治すのが最善と考えます。

 

「いのちの教え」の著者山田敏雄氏は黒住教徒の方で、この本は2008年9月株式会社テーミスの初版発行です。現在販売されているかどうか分かりませんが、宗忠教祖の教えが、詳しく分かり易く説かれています。

 

下記を参照してください

 

必ず治る⑭ 宗忠教祖の病説法

 

 

 

 

油井真砂 不可思議能力の禅者

もうすぐ夏至です。

見えない世界への紹介 

 

このブログの目的は「必ず治る」を主テーマにしております。特に難病、長期療養等でなかなか治りにくい病気、精神的うつで悩む方に対して、元気になるための「太陽を呑む」ことを提唱にしていますが、自分なりに工夫してコツを掴み、心の準備が必要です。

 

そのためには「目に見えない世界」と「心の開放」等の理解をより深めていただくことが必要です。その理解の上に立って「太陽を呑む」ことを実践していただければ、真の「必ず治る」に繋がるとの信念からご案内しています。

 

「目に見えない世界」は、決して人を惑わす迷信や怪しい話の類ではないことを分かっていただきたいと願っています。

 

いずれ来る地球のグレートリセットへ向けて関心のある方も是非お読みください。

 

 わが見神記 油井真砂(ゆい まさご)述より抜粋 

 

 

この本は二部構成になっており、一部は青山阪本病院の阪本孫重氏の序による「この人生」(住職の弟正智著)と二部は油井真砂氏の「信心と坐禅」から成り立っています。

 

二部後編の「信心と坐禅」は、かなり高度な仏教哲学的思索の濃い内容で相当難解です。そのため案内は一部が主となります。一部前編は弟の住職正智氏によるものです。

 

弟の住職さんは「姉の油井真砂禅尼そのままの歴史を誇張もなく書きました」との一文があります。

 

序 阪本孫重

 

氏は高等学校時代に当時死病と言われた肺結核になり、精神的にもノイローゼが重なり衰弱していました。

 

そこで巡り合って治してもらったのが若い頃の油井先生で、それから亡くなるまで40年間指導してもらいました。

 

肺結核が治った時に「阪本さん! あんたも結核をとうとう卒業しましたね !」と言われた時は自然に涙が流れ落ちました。

 

それからすっかり健康になり医者として開業もしましたが、健康になると大変無理を重ねて、大東亜戦争の最中に田舎道を自転車で往診をするハードな毎日でした。

 

余りの無理が原因で心臓を悪くして途中坂道を動けなくなることも再三で、またしても油井先生にお世話になりました。

 

そのころ油井先生が「阪本さん、薬師様からあなたに使命が与えられましたよ。それは一万人の難病患者を治せとの使命です」と言われ

 

「先生今日にも発作が起きたら死ぬかもしれないのに一万人もの人を治せとはどういうことでしょう」と先生に言いますと「そうね!使命ですからそれを果たすまでは死なないでしょう!」と言われたのです。

 

「以来20数年、有難い事ですが、毎日患者を治療し続けて70歳半ばに至りました」と13回忌に出版される本の序に述べられています。

 

前編 「この人生」 より抜粋 肺結核を病む

 

 

 油井真砂(敬称略)は信州佐久で育ち6人兄妹の一番上の長女です。父が選挙で大金を使い果たし、その上父の女性問題等と母親は筆舌に尽くしがたい苦労を重ねました。

 

そのなかに、てきぱきと男勝りに働き、多くの借金取りの矢の催促や父の女性との縁切り、事業失敗の借金処理等の幾多の問題を天性の頭の良さと男性並みの度量を生かして、上手に処理し一家を救ってきた話が記載されています。

 

明治40年真砂は医道を目指し上京して勉強して故郷で開業するに至りましたが、無理に無理を重ねて体も痩せて、とうとう肺病を病むようになりました。

 

当時の真砂は痩せて骸骨のようになり、村では噂が立ち「あそこにに行ったら、病気が移るぞ」と言われ、皆が診察所に敬遠して近づかないようになりました。

 

絶対絶命まで追い込まれ永平寺の森田悟由禅師に会って渾身の力を振りしぼり、必死の真砂は「何故このように病のために悶え苦しみをしなければならないのか、死んで何処にいくのかそれが知りたいのです」と問えば

 

「断崖絶壁に追い込まれた人間がそこを飛び越えるか、超えられないかは自らが知ることであって、他人に聞いても分からないぞ。自ら悟ることだ。死ぬ覚悟だ!」と禅師は答えられました。

 

禅師の回答に真砂は死ぬ覚悟ができて信州に帰り、なんと細窪の岩穴に藁(わら)と布団を持ち込み、岩穴に藁を敷き詰めその上に布団を引いたということです。

 

恐らく当時肺結核は死病と恐れられ女医の真砂は周りに感染を危惧して、誰にも迷惑をかけない方法を取ったと考えられます。

 

布団の上で坐禅を組み7月でも寒い信州の夜1週間が過ぎました。ある夜激しい雷雨になりいよいよ迫った死の苦痛に耐えかねて洞穴から転げ出し、雷雨の中を苦しさの余りのたうち回り大喀血して気を失ってしまいました。

 

この時の壮絶な体験を曹洞宗中野東英老師が教化資料として、宗務庁から全国曹洞宗寺院に「命新たに」と題して頒布されています。

 

肺結核治る!

 

 

翌朝目を覚ましてあれほどひどい喀血をしたので、自分が生きているのか確かめようと自分の両腕をさすり撫でてみて体温もあるし、衣服から湯気も立っています。医者ですから脈を診ても正常です。気分も爽やかです。

 

喀血した血が地面にどす黒く固まって、微熱も消えていました。思わず「治った!治った!」と叫び爽やかな朝を全身で感じて、命あることの歓びが沸き上がってきました。

 

家族も諦めていただけにその日から元気に歩く真砂のあまりの変化を見て、驚きというより恐ろしく感じとても信じ難い光景でした。

 

絶望的状況から一転起死回生の真砂を見て、著者は人間業ではなし得ない事象で不思議としかいいようがないと述べておられます。

 

恐らく瀕死の重病の患者が大喀血してその後すぐ復活して見違えるように元気になることは、医学の進んだ現代でもあり得ない臨床例かもしれません。

 

この日を境にして真砂に不可思議な力が授かるようになってきました。

 

これ以降不思議な老人との出会いにより筑波山での修行を経て、実に多くの霊力を有するに至りました。

 

今東光氏は「今昔物語入門」(光文社刊昭和43年4月15日発行)の40ページに「現実にいる魔女」と題して次のように書かれています。(以下抜粋)

 

「油井女史は一種の魔女で霊力を持っていた。透視もするんですな。その代わり人間の低劣な物質的欲望を満たすようなことは、決してやらなかった。金をどれだけ積んでも「だめ」という。」と続き

 

「彼女は全然泳げないんだ。海水着を着ている彼女を、みんなで担ぎ海へ放り込んだ。ところが沈まないんだよ。すまして波の上にすわっている。これにはみんな一言もなかった。この話はほんとにあったことです」との今東光氏の文です。

 

その後の真砂の活躍は政財界・曹洞宗にかなりの影響力を持ちましたが、あくまでも無欲、潔癖、清廉の一筋を貫く一生でした。昭和34年9月21日73歳 坐脱による遷化。

 

*尚洞穴で嵐が吹く中、肺結核が治った話は、必ず治る⑫のハンセン病の治った例と酷似しています。

 

読者の皆様はどうして治ったのか、その理由をご自分でお考えいただくことをお勧めいたします。

 

 

 

高橋宥明上人神変記より

高橋宥明上人 明治37年 大正3年57歳にて示寂

高橋宥明上人神変記 大橋博吉著より

 

原田祖岳老師の序について 

 

この本に序を書かれた原田祖岳老師(内容は一部略)は、この本の作者・大橋大佐と長年参禅の師匠・弟子の間柄です。又大佐は神通力を持った高橋宥明(たかはし ゆうみょう)上人とお知り合いで、この和尚さんの神変不可思議な多くの実例談を昭和10年に本にされました。

 

「私(原田老師)も他に数名の方から宥明上人の話は聞かされており、極まりない通力の持ち主であったことを確認しました。

 

仏教に天眼通、天耳通、宿命通、他心通、神境通、漏盡通の6通があり、本記に100近くの奇跡事例によって判断すると天眼、天耳、神境、他心通の4通に通達しておられることは明白で、稀に見る道者です。

 

唯物論化し実利主義化し、個人主義化した現在にとって実は科学知識の及ばない世界が限りなくあり、我々の本質には無限の霊能と無限の世界が存在しています。

 

しかし宥明上人の神変力を以てそれを宗教であるとか、如来の真の通力であると考えてはなりません」と述べておられます。見えない世界を肯定しつつも釘を刺すところは注意喚起しておられます。

 

この宥明上人の稀に見る力と見えない世界を、もっと世の人々に知ってもらいたいとの願いからブログにまとめました。上人は高野山の弘法大師と過去世に深いご縁のある方と拝察します。

 

大橋大佐と宥明上人の関係

 

本題にはいりますが興味深い話の事例をいくつか案内する前に、大佐と上人(和尚)の関係を説明します。

 

大佐が山形連隊に奉職していた明治31年に、隊から夕方下宿に帰り,座敷の障子を明け放し机に向かっていました。その時突然法衣を着たお坊さんが,縁側の先にニコニコしながら立っています。

 

何だか変な坊さんだなと思い、「どうぞお上がり下さい」と申しますと「明日又くる」とお坊さんは言って出ていきました。

 

今思い出すとその場所から忽然と消えたのではないかと思われ、表に歩み出た様子がなかったのです。ただし別に気にも留めずに翌日出勤しました。

 

帰宅後煙草を吹かしていましたら、例の通りニコニコしながら「お前は今日職場で心にもない事を喋るのは良くないよ!」といきなり初対面で内心をズバリ注意されたのです。

 

確かに今日帰宅前に戦術研究で論戦を試み真っ当な正攻戦術に対して、敢えて反対論の立場で大いに議論しました。そこを指摘されました。

 

そして「お前の所に居ていいか」と聞かれ、「いいですよ」と答え二人で食事をしてその日は寝ました。それからというものは2日位居たかと思うと、3日ないし7日位は不在したり或いは数十日は滞在したりの生活が2年経過しました。

 

このお坊さんは山形県の荻という寒村で生まれて少々足りない方であったらしく字が読めなくてお経も全く知りませんが、真言陀羅尼だけはいつも繰り返して唱えていました。

 

神変1 投げ筆

 

 投げ筆はどういうことかと言うと、書いてもらいたい自宅において何も書かれていない和紙を丸めて帯封をして仏壇か神棚に安置します。

 

そして離れた場所から宥明上人が念じながら筆に少し墨を付けて、頃合いを定めて1メートル近く離れた畳の上か廊下等に投げ入れますと、離れた家の和紙の上に龍の絵とか大黒天王,梵字,カラスとかが描かれているということです。

 

字が書けた時は筆の先が前方に向き、たとえ投げた時に筆の先端がこちらを向いていても字が書けておれば筆は自然に先方に向き直ります。

 

出来上がった龍の字もことごとく異なり同じものがなく、尾の方が威勢よく上がったり二つに分かれたりしています。

 

大佐の知合いの産婆で石井(東京都中野区)という人が是非龍の絵を書いて頂きたいと頼むので、和尚に話しますと了承して石井家に紙を置きましたところ、投げ筆で描かれた龍の絵は尻尾二つに分かれていました。

 

これを見て和尚は「今に家は二軒に分かれるよ」と申しましたが、現在増築してその通りになっています。

 

神変2 雨に濡れない

 

大佐の家に遊びに来る将校連中の間にも、不思議な和尚の存在が噂に登るようになってきました。ある日皆と話をしていたら、和尚が一度隊内を見たいと頼みますので「午後4時以降なら暇だから来い」と申しましたら翌日参りました。

 

中を案内して二人で営門から帰途につきましたが、あいにく雨が降ってきました。雨具は二人とも持参していなくて、雨はそれほど強い降りではありませんが、家まで距離があるので相当濡れるのです。

 

和尚が「早く早く」と言いますので、急ぎ下宿について驚いたことは私も和尚も共に濡れていないことでした。

 

神変3 巡査の足の切断

 

和尚は大変巡査を怖がります。話によると石川県であまりに不思議な事をするので、警察に連れていかれ取り調べを受けて巡査に足を蹴られました。

 

その蹴った巡査はその晩から足が痛みだし、やがて爪先から腐り始め遂に病院で膝下を切断したそうです。又他の事件で免職になって,乞食同様に落ちぶれていきました。

 

和尚は取り調べ中弘法大師の悪口を言われて、自分のことはともかく大師への悪口は許せないと憤慨していました。

 

神変4 人の体に墨を付ける

 

ある朝宥明上人の兄(兄は欲深くて、無欲の上人からお金をよくせがんでいた!)自宅に来て、「宥明が止まっているか?」とソワソワしながら訪ねてきました。

 

「今いません」と答えて、その落ち着かない様子を見て「何か急用ですか」と尋ねると、「私の顔に墨を付けました」と顔を指さすと、右の顔に髭らしき墨がついてどんなに擦っても取れないそうです。それで弟のせいだなと駆け付けた次第です。

 

和尚がだれかに墨を付けてやろうと思ったら、その人の皮膚に墨が付いて洗っても落ちません。和尚が紙でその上を拭いますと綺麗にとれるのです。

 

大佐はどうやって墨が付くのか観察していたら、大佐の煙草盆(たばこぼん)の片面を木炭でごしごし擦って、それを払いながら付けたい人に思念を送れば付くのが分かりました。

 

神変5 空中移動

 

和尚が連隊に遊びに来て高所にかけてある梯子を下駄のまま登りますので、下から「危ない危ない」と声を掛けましたら、かなり高い所からそのまま飛び降りました。

 

その時連隊長も一緒でしたので、多分連隊長も危ないと叫んだと思います。しかしそのまま姿が見えなくなって消えてしまいました。

 

すぐ下宿に帰りましたら和尚は火鉢の前で煙草をふかしながら、私を見て「どうだ連隊長さんも驚いただろう」と申しておりました。「今度は軍艦の帆柱から、華族様の目の前で飛び降りて見せたい」とも言っておりました。

 

神変6 水面を歩く

 

和尚が福島の町から伊達に行くには、どうしても阿武隈川を渡らなければなりません。和尚が船で渡ろうとした時には、大勢乗せた渡し船が、ちょうど岸を離れて出発した時でした。

 

和尚は例の茶目振りを発揮するつもりだったのか、川の上をすたすた歩いて向こう岸に渡ったそうです。「船の乗客がこれを見て驚いていたよ、実に気持ちがよかったね」と話していました。

 

そこで大佐は「それなら、この自宅前の池を今すぐ歩いてくれ」と言いましたら、「 訳はない 」とそのまま下駄をはき、池の上を歩いて向こうの便所の方へ行きました。

 

大橋大佐の妹の話

 

大佐の妹で平田満恵という方の話がありますのでこれも紹介します。和尚は妹さんを可愛がっていたそうです。

 

私が初めて宥明さんとお会いしたのは、19歳の時で兄が山形連隊に勤務しているときの知合いということで、最初は薄気味悪く思っていましたが、実際は誠に子供のような純真な方です。

 

又半面恐ろしいところもお持ちでした。非常に私を可愛がってくれて「投げ筆をしてやるから」と申されました。

 

少し離れた4畳半の床の間に紙を置き、私を別な場所の縁側に立たせて私の後ろから筆の先にちょっと墨を付け、光明真言を唱えながら私に筆を持たせました。

 

「それ投げろ!」と言われて投げましたら「それ!叶ったぞ!床の間の紙を取ってこい」と言われ、離れた部屋の4畳半の紙を取ってきて広げてみると、なんと紙の中央に梵字が書いてあり上にはカラスが2羽描かれています。

 

この時和尚の申されるには「このカラスは良い事があると、家人に聞こえるように3度鳴き、悪いことがあると家人に聞こえるまで幾度でも鳴くから気をつけているがいい」との事です。

 

私が平田家に嫁いでから何年か経ち、ある時茶の間で子供と話していたら「ジイージイージイー」と3度鳴きました。初め何かと思いましたが、投げ筆のカラスが鳴いたのだということが後で分かりました。

 

それは「主人の勤務が岡山に変わった時でした」と続きます。恐らくご主人の栄転でしょう。

 

妹さんはかなり不思議なことを他に数多く体験されていますが「話しても誰も全く信用してくれないでしょうが、正しく事実そのものです」と書かれています。

 

* 尚高橋宥明上人のことは検索すれば見られますのでご興味のある方はお調べください。

 

この世には常識では測れない世界があることの事例です。今後世界の大変動に際して、新しい時代に入るには、今の三次元・物理世界の考えだけでは乗り越えられないと考えます。

 

これらの事例は見えない世界と無限の可能性を人が本来有していることの理解に役立てていただければ幸いです。

 

「2028年頃から、透視能力、空中浮遊、瞬間移動、念力等の特殊能力を持った子供達が多く生まれ、これらの超常力が一般的レベルまで認知されるまでになるだろう」とスピリチュアルで有名な並木良和さんの言葉もあります。

 

超常力が不思議な力ではなく、当り前の世界になる日が来るのが今から楽しみです。

 

原田 祖岳(はらだ そがく) 

1871年福井県小浜市生まれ 1911年から1923年まで駒沢大学教授 曹洞宗の修行法を基本として、臨済宗の公案修行を取り入れた折衷派として知られる。非常に厳格な人物で90歳まで接心を指導した高名な禅僧。

 

 

宗忠教祖の病説法

宗忠教祖の病説法について 「いのちの教え」山田 敏雄著より抜粋 

 

心を強くすることの重要性

 

宗忠教祖の高弟河上忠晶が著した「宗忠大明神御伝記」に病を得た時の心構えを,説いた宗忠教祖の説教です。現代でも十分通じる内容になっています。

 

 

そして黒住教の教えは「祈れ、薬(くす)れ」と祈りと薬の活用の両方を、病気治しに最大限活用する立場をとっています。

 

このブログでは、心を重視した治し(なおし)を参考として紹介していますが、最新医学を軽んずる考えは毛頭ありません。医学上薬で治る病気は当然ながら使用すべきです。

 

宗忠教祖も薬等は積極的に使用されていましたが、病気になった人の心理に対して次のようなアドバイスをされました。

 

病気の際の心構え

 

『 皆さん、身の悩みはどれほど耐え難くても、それをものともせず、思いをしずめて、わが魂を動かさないようにすることを、病気にかかった時のこころ構えとしなければなりません。

 

世間の人は体だけを大事と思い、心の大事なことを知らないから、体の養いは厚くもてなしても、心の養いは薄くします。

 

心が主であり、肉体は従です。

 

たとえば心は正実(しょうみ)であり、体は粕(かす)です。粕を尊んで、正実を軽んずるのは本末転倒です。心が強ければ体も強いのです。心が弱ければ体も弱くなります。

 

心の弱い人は、病気のために自分の体を失うことを、ついつい恐れて、心を悩まし苦しめるために、心はいよいよ弱く小さくなっていきます。体が弱くなれば、薬も役に立たない程になり、もろくはかなく体も消えてしまいます。

 

若死にと長寿の分かれ目になる境目があります。それが「とどまり」という考えです。

 

その「とどまり」とは、病気で体が亡くなることを恐れる思いを打ち捨てて、病気にかかっても心に思わない気にしないことです。

 

世の中の死者の大方の原因は病気を恐れる思いが深くて、薬よ! 鍼よ! 灸よ !と心配するあまり大事な心を弱く小さくするためです。本来ならば100年後まで保つはずの身を、夕べの露としてしまうのです。このことをよくよく心得てください 

 

以上

 

この説示では[肉体は従であり、心が主である]ということです。これは全くその通りです。このところをよく理解してくださいと詳しく説いておられるのです。

 

白隠禅師が夜船閑話での説教で「少しの病気を、あたかも重病のように深刻に考え、気もそぞろになり精神の安定を欠き、その結果本当に重病に陥ってしまう」ということと全く類似しています。

 

病気になったら、くよくよ心配する癖がついて逆効果になっていることを反省しますが、一念発起してこころを強くする習慣づけをしたいと思っています。

 

 瀕死から生き返った伊東左兵衛の奇跡 

 

宗忠教祖がある弟子にあてた手紙に伊東左兵衛なる人物が臨終の床から生き返った例があります。

 

「この5月頃、伊東左兵衛殿が26年来のりゅういん(胃の病気)で治療の施しも出来ないくらいの重病になられました。治療もいろいろされましたが、その効果もなく食も薬ものどに通らなくなり、お亡くなる寸前までになりました。

 

ご本人も覚悟を決められておられましたが、私(宗忠教祖)に頼みがありお話をさせていただいたきましたので、ご本人に向けて

 

『ご覚悟はもっともです。しかし「病を気にして心を痛めてはなりません。心は天照大御神と一緒ですから天にお任せする」ということに気持ちをお決めください。

 

そうすれば病気もすぐ治ります』と申しましたところ不思議にも26年来の病気がそのまま治りまして、20日振りに藩邸に出勤されました。まことに夢のようです。」という内容です。

 

病は気からといわれますが、たとえ瀕死の状態でも教祖の教えを信じ切ることで奇跡が起きたと言えます。このような奇跡譚を軽んじてはならないです。

 

 

旧石器時代~縄文時代からの太陽崇拝

 

下記を爽やかな日の出時に、昇りゆく圧倒的エネルギーの太陽を見ながら、祈り唱えますと実に気分が爽快に、晴れ晴れとします!日本人に生まれて良かったと実感します! 

 

天照大御神様!(アマテラスオオミカミ)様 

 

 どうぞ* わがご分心(ぶんしん)を

 昇る朝日のようにもっと大きく 

 いきいきとしっかりお鎮(しず)めください。* オーー オーー オーー

 

* オーオーオー(神へのごあいさつ。オーは長く伸ばしてオーーーーと真剣に心を込めて発声すれば本当に神と会話できるような気持ちになります。実際に発声する必要はありません。)

 

尚上記以外唱えやすい言霊を各自創作しても構いません。大らかな気持ちで5~6回 (心の中で)唱えます。又雨雲の場合でも日の出・日中時間いつでも出来ます。

 

 

 

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