• 太陽の恵み

サウジアラビア長期滞在の思い出

小生は30代の頃サウジアラビア国に長期出張したことがあります。当時日本でも唯一と言われた石油のオイルエンジニアリング会社に勤務していました。

会社規模は小さい組織でしたが、技術部は東大卒以下天下の名門大学出身で占められていました。

こんなエリート会社によく中途入社で入れたものです。この会社はアラビア石油の子会社でした。

アラビア石油は当時の日経新聞によると三菱重工業より売り上げ高が優っており、日本の高度成長に果たした役割は大きく通産省(経済産業省)ともパイプの深い会社でした。

アラビア石油の基地はサウジアラビアのラス・アル・カフジという地名の小さな砂漠町です。かつて現天皇が皇太子の頃、皇太子ご夫妻もご訪問されたことがあります。

クウエイト国との国境にあり厳格な禁酒国です。日本人基地には赴任家族の住宅街があり小さい日本人学校もありました。

女性のいないカフジ基地に長期出張するということは経験しなければ分からないと思いますが、想像以上にきついものです。

現地の女性がいるではないかと反問されそうですが、皆ベールをかぶっており、厳格なイスラム教の国ですから目を合わすことすら禁じられています。

これ自体がれっきとした犯罪なのです。視奸(しかん)罪というのか今もあるのか分かりません。

当時のサウジは斬首が公然と行われており、盗人の片腕が切り落とされて電線にゆらゆらとつりさげられている国でした。

怖くて現地人女性と目を合わすことなど絶対できません。現在はどうなっているのでしょうか。

そんなに変わっているようには思えないですが、これらの習慣等を理解しないとイスラム国は理解できないです。

日本のような自由な国とは全く異なるがんじがらめの掟(おきて)の国でした。

日本のように一年中祭りがありエネルギーを発散できる国と異なり、お祭りは一度もなく禁酒国でその上熱暑の乾いた大地です。

そもそも人が住める環境ではないように感じます。或いは日本の風土が恵まれすぎているのかも知れない。

 

女性欠乏症ともいえる社会実験

当時事務所勤務だった自分は大人気の竹下景子さんの大きな振袖姿のポスター写真を事務所に貼っていましたが、その写真見たさに日本人技術者が毎日多く足しげく訪問していた位です。

彼らの女性欠乏の癒しには絶大な効果があったと思っています。

近くにひとりの独身看護婦の唯一の診療所がありましたが、病気でもないのに薬をもらいに日本人男性が毎日詰めかけて活況を呈していました。

「今日は体調が悪いから診療所に行っていいですか」とうれしそうな表情で許可もらいに事務所に派遣技術者が来ていました。

今そのことがなつかしく思い出せられます。不思議にアラ石日本人基地の既婚婦人には興味が湧きません。不思議なものです。

後に診療所の彼女は見初められて目出度く結婚したそうです。失礼ながらどちからといえば不細工でしたが、女性飢饉の場所ではあり得るようにともかく皆の憧れの的でした。

演歌を聴くとしみじみと切なくなり日本が恋しくなります。これほど演歌が身に沁みる経験をしたことがありません。

夜に奥飛騨慕情のような演歌を聴くと思わず涙が出そうになったものです。皆口を揃えて同じことを言っていました。

今まで演歌はとても嫌いでしたが、望郷の念が湧いて戦時中の南方の兵隊さんの心理が芯から分かりました。

 

満天の星空

それでも自分には楽しみがありました。それは夜砂漠に車で出かけて満天の星空を眺める楽しみです。

息を呑むようなきれいな大宇宙があり、砂丘に寝転んで存分に宇宙ショーを楽しめた経験です。これだけでもサウジに来た甲斐がありました。

カフジ基地から相当奥に行かないと油田の燃え上がるフレアーが邪魔して見えません。数十キロ先の危険な砂漠までこっそり運転していました。

サソリが出たり車が砂丘にスタックして動けなくなる危険性があります。

当然夜間行動は禁止行為です。事務所の取り締まる立場にありながら秘密裏に行動していたわけです。

何が何でも満天の星空を見たかった。ひとりで嘆声の声をあげるくらい素晴らしい星空でした。小学生時に都城市の澄んだ星空をいつも見て楽しんでいた経験があります。

遠くの地平線に油田のフレアーがかすかに見える距離まで運転しました。フレアーは夜間帰りの大切な目印になります。

叶えるものなら生存中もう一度眺めてみたいサウジアラビアの満天の星の思い出です。この経験はある事を思い出します。

昔ある霊能者から自分に「あなたは中東の地で王様でした。黒ダイヤを手に眺めている光景が見えます」と言われた覚えがあります。

禁止行為を犯してまで砂漠の星空を眺めたかったのは、当時の王族経験が呼び起こしたからかも知れない。