事切れた病人が生き返る

一度死んだ人間が生き返ることは殆どあり得ない話と思われるかも知れない。しかし現実に起こり、今後も起こり得ると思います。
備中玉島町(倉敷市玉島)に中野庄兵衛という信仰厚き方の話です。殊に黒住宗忠を生ける神として尊信しておられました。この方が病気になりだんだん悪化して、もう最後の段階までに至ったとのことです。
親類、家族、知人が集まる中で「死ぬ間際になり覚悟はできているが、最後に宗忠様のお祈りを受けたらもう思い残すことはない!先生からご陽気を吹いて頂き、お手で触れてもらったらよくなると思う。どうかなんとか叶えさせてくれないか!」と切なる懇望です。
皆顔を見合わせて当惑していました。なにしろ玉島から岡山の上中野の先生のお宅まで30キロ近くもあります。とても重病人が行ける距離でもなく、ましては今にもこと切れしそうな重病人です。
皆お互い黙って見守っていましたが、庄兵衛さんは「困難なことは分かっておる。もうぐずぐずできない身だから、わしを籠に乗せて先生のお宅までつれて行ってくれ!途中で死んでも構わぬ。どうせこのまま死ぬ身だ!」といよいよ痛切な頼みです。
さあー!籠で岡山の上中野へ
それほどまでの願いであれば、叶えさせてあげた方が良かろうということになり、早速籠で上中野まで向いました。
ようやく後わずかの距離までのところに来たら、籠の中でうーんという呻きごとでもはや事切れてしまいました。せっかくここまで来たのに残念だが、死んでしまったので引き返そうということになりました。
夜明けは近い。もうすぐ日の光が全天を染めて、いよいよ太陽神の登場です。新しい希望の世界が開けます!この瞬間が大好きです。思わず喝采を叫びたくなり、地球に感謝したくなります。たとえ日常世俗の塵を浴びていても、わづかなひと時でも清新な気に浸れます。
なんと祈りによって死人がよみがえった!
いやここまで来たのだから死んだ後でも連れて行った方がいいという話に落ち着き、そのまま教祖の家に向かうことになりました。
そして到着後既に亡くなってから相当時間も経ち、全く冷たくなったいるものを宗忠教祖はご神前の前に横たわらせて、お祓いを悠然と献読になったそうです。偶々その場に居合わせた松岡清見さんに教祖は「松岡さん、私がご祈念しますから、その間おまじないをして下さい」と頼まれました。
ここからは松岡さんの率直な心中の考えに移ります。松岡さんは同じ神官ですが、宗忠教祖を尊敬しておられました。
正直ひんやりと冷たくなって全身硬直している死者に触ってみて、とうてい生き返るとは思っておられなかったようです。「この死後こう着状態で教祖のおかげ(お祈り)を果たして受けることができるかなー」と疑っておられました。
それほど死相が固くはっきり出ていたといわれています。恐らく現代でもこのような状況下で生き返りした例は見当たらないと思われます。
白隠和尚の延命十句観音経でも生き返り例は10数例記録されていますが、皆死後の時間が経過しておらず、今息を引き取ったばかりのケースであり、すべてうら若い人のみに限定されています。
お年寄りは一人も記録されていません。ましては相当の時間が経過しており、松岡さんでなくても誰もが生き返るわけがないと思ったことでしょう。一方宗忠教祖はお構いなくリンリンたる声でお祓いを唱えられておられましたが、だんだん時が経つにつれますます死相は明らかになってきました。
「もうこれは駄目だ、おかげもやめるべきだなー」と松岡さんは半分諦めておられたとあります。しかし宗忠教祖は澄み切った声で朗々とお祓いを続けられており、それに元気を奮い起されて松岡さんも必死に唱えられたそうです。
しばらく松岡さんは心に迷いと決意が繰り返されて何本目かのお祓いがすみ、最後の”とおかみえみため”(黒住教では大祓詞の後は とおかみえみため を5回唱えます)もいよいよ終わりました。その刹那、不意にウンと声を発して固く冷たくなっていた死体、いや病人が生き返ったのです。
この宗忠を師と慕う者を見殺しにはせぬ
そのあと宗忠教祖はしみじみと松岡さんにお話しになり「松岡さん、ご神徳はありがたいものです。ここは神国です。神国の有難さはまた格別です。なんとご覧の通りに死人が生き返りました!思えば思うほど有難いことです。
おまじないはその有難いご神徳を取り次ぐのです。きっとおかげがあるはずなのです。広大なるご神徳をあまねく世の人に知らしめることを務めとするものです。
いやしくともこの私を師と慕うて来るものを見殺しにはいたしません!決して見殺しにはいたしません!」とあの有名な言葉を吐かれました。