• 太陽の恵み

 

以下の話は「いのちの教え」からの抜粋です。1950年(昭和25年)見事に回復したある信者女性の奇跡をご紹介します。

 

「我が子を残して死ぬわけにはいかない」

 

信者の女性が麻酔薬による心臓発作に襲われ、あわや死ぬ瀬戸際までに追い詰められました。脈が数えられないほど早くなり、息もできない状態になってもはや生きることは困難で死を意識したとのことです。

 

ところがかたわらで寝ている長男の顔がふと目に入ると「この子を残して死にたくはない。死ぬわけにはいかない!」との強い思いが去来した。

 

神棚にあった大祓詞を夫に取ってきてもらい、薄れそうになる意識の中で懸命に大祓詞を唱えて祈ったそうです。

 

「宗忠の神様、この子を残して死ぬわけにはまいりません。どうか、この子が成人するまで私に命をください。助けていただいたら、私はどんな辛い目に遭っても、どんなに貧乏になっても泣きません」と必死に祈りました。

 

7~8本大祓詞を詠んだら、今にも止まりそうな苦しい呼吸がす――と楽にできるようになった。次の日も大祓いを詠んでそのまま寝込んだら、「ごめん下さい」と宗忠教祖が紋付羽織姿で玄関に現れました。

 

はっとして目が覚め夢だったことに気付いたが、自分に会いに来てくれたことの有難さで胸が一杯になり、涙がとめどもなく流れた。しかもその夢を見た時から薄紙を剥がすように発作がおさまり、症状が和らいで回復した。

 

その後更に二人の息子に恵まれ当時3才だった息子はいまは60才になりました。この他に数々の救われた奇跡話が記載されています。

 

ここでそれらをまとめると次の共通事項が明らかになりました。

 

先ず強い祈りがあります。この祈りは本人を主体として周りの人からの応援もあります。その祈りにより天に任せる境地になり、有難い感謝の念が絶対的に存在しています。その結果驚くべき奇跡が生じて回復していることです。

 

これを現代医学と比較してみます。

 

医者から診断してもらい症状の説明があり、薬を処方して薬をのみます。本人は自己の症状を分析的に調べて原因を探り医者の注意事項を守り、薬に頼ります。それから心配を抱え不安の生活が始まります。

 

人によっては数年、数十年の闘病生活がスタートするのです。心配・不安は増幅して場合によっては転院を繰りかえし、薬の効能に敏感になり次々薬を変え、一喜一憂の病人スタイルがここで確立します。

 

これでは治る訳がありません。ますます悪化させているのが実情です。

 

奇跡的に治った例は一途な祈り、感謝、感動、歓び、信頼、安心の感情があります。一方普通の病状のケースは不安、心配、迷い、焦り、悲しみ、諦めの感情と見事に対照的です。

 

ここが決定な相違であることに注目したい。感情が極端に真逆になっており、不安からはなんら解決は生まれない。ただすべて分析的な見方を否定はしないが、特に難病、癌等は大きな喜び、歓喜がDNAを一変させるだけのパワーがある。

 

心が身体を支配している証拠です。心が主で身体は従です。そして必死に祈れば、神は土壇場には助けてくださるし、その神とは大いなる自己です。