
死ぬ直前まで追い込まれて、見事に生き通した黒住宗忠の話です。
死ぬ直前について調べてみましたら、まず五感では視覚が無くなり、まわりが見えなくなるそうです。聴覚が最後の感覚でこれが消えると生命も亡くなるとあります。
死ぬ直前は体温計も持てない位に手指の筋肉が落ちて、おそらく言葉も発することもできないくらいに弱るのでしょう。このようなどんずまり状況から生き返った話です。
このような状況から生き返るには、一番本質的な条件はこのままでは死ねない、どうしても生かしてほしいという心からの強い願望が必要になります。もういいと諦めた時点で生命の火は消えてしまいます。
死ぬ直前まで追い込まれる
黒住宗忠は両親を一度に亡くされてから、悲しみのあまり労咳(結核)になって命が尽きようとする間際になり、誰も助からないと思われていました。
小生はこの話を聞く度に宗忠さんは何と優しいお人柄だったのだろうと感心します。宗忠の父は岡山の神社の宮司ですが、当時70代で亡くなったとあります。江戸時代末期の平均的寿命は短命であり、70代まで生きられたことは相当な長生きに属します。
相次いで母親が流行り病の赤痢で亡くなっています。恐らく村全体で相当数がこの病で亡くなったと推定されますが、この両親に対して尋常では考えられない程悲しみが深く、悲しみのあまりお墓で気絶して倒れていたという話が残っています。
これほどの極度の悲しみが連日続き、悲嘆が重なれば労咳になることは当然とも言えます。当時労咳は死ぬ運命の重病です。
評判の孝行息子
何故労咳になったのかについて考えると、宗忠にとって両親はかけがえのないほど大切な神様のような存在であったということです。小さい頃から村でも評判の孝行息子であり、池田藩から優良息子として表彰もされています。
親孝行の宗忠は両親が喜んでもらえるような人物になりたい、それには「神のような宮司になりたい」といって、神になることを真剣に目指すような子供でした。「生きながらの神になって、多くの人を救いたい」という念願です。
この点だけ考えても、尋常ならぬ桁外れの人物であることが察せられます。今の御七カ条は神になるため具体的に創案し、実践されてきたものです。
いよいよ最後を迎え、起死回生の瞬間が訪れる
宗忠は今生の最後の静かに息を引き取る時を迎えました。しかしこのまま死んで果たして両親が喜ぶだろうかと考えた宗忠は苦しい呼吸の一息一息に「有難うございます。有難うございます」と生きようと思い、感謝の祈りを捧げたとあります。
考えを変えた時から宗忠の死相が次第に消えて輝き、呼吸が続くようになりました。このとき起死回生の奇跡の瞬間が訪れたそうです。もう死ぬと諦めていた考えを生きようと、心のスイッチを切り替えたことがポイントです。
たとえばガンで余命数か月と宣言されたとします。ガンが全身に転移してもう死ぬとあきらめたらそのまま亡くなるでしょう。「転移したからもう命がもたない」と勝手に決めつけることが亡くなる最大要因になります。
本当に生きたいのであれば諦めることはありません。一心に祈れば延命できると心底から信じれば奇跡が起きる。人には医学常識をはるかに超越する本源の力があります。必ず治るのです!
医学常識を信じ込むより本源力に気付きましょう。下記をお読み下さい。
どうすればガンを克服できるのか、癌が退縮するのか、心と体の関係 How can we overcome cancer?
感謝で癌が消えた話「神道のこころ」葉室頼明氏より