冬至の日 新世界への旅立ちの思い
小生は一寸歩けるのも神様のお蔭であり「ああ!有難い、有難い」と思い、又少し歩けるのも「有難い」というようにしたら、気安く生活ができるようになり、神様のお蔭で働かして頂くことを感謝する。
飛騨高山の一位一刀彫の恵比寿像を持っており、磨けばピカピカになります。指で磨くと自然に恵比寿像の笑顔をまねしたくなり笑顔になり、もろもろの世間の憂さも無くなります。
にこやかに笑う事は面白いもんですね。この小さい習慣は効果抜群です。笑いの中に自らの不安・不満を溶かす気持ちでやっていると、不思議に氷がとけるように自然にとけてなくります。
ただ続けること。何回も何回もやり続けるのです。笑いの効能あるいは功徳でしょうか。笑うとホッとしてくつろげます。神の天恵でもあります。
身の回りの事故、不幸な出来事があっても強制的に笑いと感謝に戻る訓練を実行する。たとえ家族のトラブルでもネガにならず、そこで引きづらず感謝を行い魂浄化をひたすら行うのみです。
実に人生は海あり谷あり、絶望、不信、恨み、後悔を全て乗り越えなければすぐ底に沈みます。宗忠さんは「人の心は生ものである」と言われた。まさにその通り!
心は鬼になり又神に変化するのだから、笑うことに努めよう。笑えばすべてに感謝したくなる!
生きていることが奇跡であり、天地に生かされていることの有難さがこの年になってやっと分かってきた。
だいぶ前に亡くなられた俳優の津川雅彦さんが最晩年に車いすに乗り口に吸入器を当てながら、「有難い、有難い」と絶えず唱えられていた姿が尊く思い出されます。何かのニュースで拝見して、今でも忘れられない記憶として残っています。
自分も末期は感謝しながら終わりたいと念じています。一朝一夕には出来ないので普段から習慣付けしようと思う。
2024年冬至の新たな出発進行!
朝夕「ただ有難い」と口癖のように唱えるうち、周りの人々から「ありがた爺さん」と呼ばれるようになりたいと願っています。この話は幕末の黒住宗忠のある逸話から取り上げました。
黒住宗忠は冬至に生まれ(1780年)、冬至に朝日を呑み込んで天照大御神と一体の境地(1814年の天命直受)を体験した人物です。冬至と太陽に最もご縁のある聖人と言われてきました。
三日三晩大笑いの大歓喜の悟りをされたそうです。伊勢神宮の天照大神の国家神道を国家のみならず、個々人の親神として大いなる教えを人々に説きました。立教210年になります。
村のひとり暮らしの老婆が宗忠さんに尋ねました。「この年になりますと仕事の機織がしんどくてなりません。腰や肩が凝りますので引退したいのですが、引退すると食べていけません。どうしたらいいのでしょうか」
すると宗忠さんはにこやかに答えて『お婆さん、ちょっと織るのも神様のおかげと思い「ああ!有難い」またちょっと織れたら「ああ!有難い」と言うようにしたら肩もこらず気安く仕事できますよ。』
老婆は大いに感じ御教えのように働いたら肩のこりも出ず、腰も痛くならず朝夕唯有難い、有難いと口癖のように申すうち、人々から「ありがた婆さん」と呼ばれるようになりました。
それから機織りの仕事も順調に舞い込み暮らしも楽になったそうです。古松のお婆さんの実話です。
すべて天命に任せて感謝申し上げます。わが魂の太陽神に繋がっていることを!
そして皆様の輝く魂を祝福いたします。2025年がいい年でありますように!
言霊の祈りの力
最後に赤木忠春の歌をご紹介いたします。目に見えない言霊(ことだま)の力を肌で実感しよう。あなたの口から明るい愛のある癒しの思いを発すると、現実に思いの人に届きます。
天地(あまつち)の神のつくりし御社(みやしろ)に
鎮まりたまえ天照神(あまてるかみ)
心の病んだノイローゼの方達がこの道歌を繰り返し詠んで、殆どの人が治ったという言い伝えがあります。活きものが溢れており、本来の魂の明るさを取り戻せる歌です。