⑦大いなる奇跡と霊験 ハンセン病の奇跡 言霊療法
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言霊療法 ハンセン病が治る
言霊療法は今の科学万能主義からは、受け入れられない迷信の類と思われています。
言葉だけ信じて治る訳がないし、正しい診察も薬も使用しないで完治するはずがないとの見方が一般的です。
従って根本的に言霊療法を否定する人には、残念ながらその効果は全く現れないと思われます。 その理由は信じること或いは信じ切ることが、根底になければ快方に向かわないという原則があるからです。
その信じ切ることの大事な例が、黒住宗忠教祖の話の中にあります。
備前藩士で高禄家柄の人が、難病のハンセン病にかかり顔にも症状が出てきました。かねてのうわさの高い宗忠教祖のところへお参りして治してもらおうと伺いました。
教祖は「ご心配ありません。よくなります。しかしながら治るには、有難いということが、最も大事です。まず一日に百回づつ7日間『ありがたい、ありがたい』と心を込めて唱えてください」と仰せられました。
その人はそれなら簡単だと思われて、さっそく100回づつ実行しました。そして教祖に実行したことを申し上げると「では、日に1000回づつ唱えてください」と言われました。その方は一日1000回づつ7日間唱えたということです。
しかし病状は一向に良くなりません。そのことを申し上げると「一日1万回づつ唱えてください。必ず治りますから!」と力強く仰せられました。
その方は素直で純粋な方でしたから、その言葉を信じて毎日1万回づつ唱えて、ちょうど7日目に にわかに熱が出て激しく吐血して倒れこむように、寝込んでしまったということです。
久しぶりに全てを忘れて熟睡して目が覚めると気分もよく、なんと顔や手足のハンセン病特有の症状がきれいさっぱり取れて治っていました。
この人はそれ以来熱心にお道を信じて生涯2,7日(月に2と7のつく日)の御会日は一回も欠かさず参拝されたということです。
この話は愚直に治ることを信じて言われた通り「有難い」の言葉を言い続けることを、やり通したことで難病のハンセン病が治ったということです。
「有難い」の言霊はこの言葉自体の持つ高い波動が、人知を超えた奇跡をもたらしたものと言えます。
治った理由は ①治りたいという本人の切なる願い ②宗忠教祖への全幅の信頼 ③「ありがたい」の言霊の持つ力が、相互に作用して難病全快に導いています。
見えざる力の発動で、あらゆる理屈を超越した力です。「必ず治る」ことの理由を強調したい点です。
言霊の波動
周波数の高い言葉、言霊の持つ本来の力と本人の熱意のなせる技でしょうか。宗教的なことはよく分からなくてもただ有難い、有難いと心の中で念じていれば幸せが訪れると、宗忠教祖も太鼓判を押しておられます。
小生自身も感謝行を行っており、ある事が叶った経験が最近あります。このような経験は生まれて始めてのことで一種の奇跡でした。全然考えもしなかった事が突然現実に現れるのにはびっくりでした。
もっとも自分のこんな些細な経験より、霊的に大きな学びをしっかり経験すべきなのでしょう。しかし率直にうれしい出来事でした。
一遍上人や妙好人達がひたすら「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」或いは「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えれば、極楽浄土は間違いなしと伝えられていることと同じかもしれません。
我々ご先祖は奈良時代から現代まで歴史的に遡り累計にして数千万の人々が、この南無阿弥陀仏の6文字を唱えることでどれだけ救われてきたことか!
穢多、非人、娼婦、身売り人、犯罪者等、阿弥陀様の救いの光は、彼らに等しく慈悲をお恵み下されたのです。
言霊(ことだま)の持つ偉大な力を、改めて考える時期が今来ていると思います。
言霊療法において基本的な心の持ち方について大事な教えがあります。
生きがい療法
がん患者に対して生きがい療法を行っている病院では、がん患者が富士山やモンブランなどに登頂してマスコミでも話題になりました。
患者が死ぬ前に是非とも実現させたいとの思いを、周りがサポートして登山を実現させたのです。その生きがい療法の第一に挙げられるのは、自分が自分の主治医となってがんと闘う積極的な前向きの気持ちのことです。
自分が自分の主治医となる意味は、自らの自然治癒力を十分に生かすことにあります。すべてを医者や薬任せではなく、自分で自分の病気は治すという明確な意思を持つことです。
そのことは今日の今を生きて生きられることへの感謝を、忘れずに生きることではないかと思います。
次に今やりたいことを積極的に実行に移すことです。富士山を目指すこともモンブラン登山もその手段・対象です。死ぬ間際になって後悔しても、実行に移すことはできません。
病気に負けるな!
宗忠教祖の病治しには奇跡的な話が多く登場してきますが、すべて奇跡的に治された訳ではありません。
尾形長次郎という後に黒住教の指導者として、活躍された方の話を紹介します。この方は時尾高弟と共に播州姫路方面の布教に、努力された功労者です。若い時分に肺結核に罹り、治る見込みも立たないまでに悪化されました。
ある日庭先の床几に腰を掛けて休んでいますと前の道を通る人びとが上中野へ参るといって、病気の治ることなど話をしています。
ふと老人が通りかかって「あんたも一緒にいってみないか」と親切にすすめてくれましたので、これもなにかのご神縁と思い重い症状でしたが、初めて御会日に参加されたのです。
教祖のお説教を聞いてその場で治る病人の有難い光景を見るにつけ会日ごとに勇気づけられて、まる一年は熱心に参加されました。
しかしどうにも病気の方はいっこう回復の目途が立ちません。そのためある御会日の終わるのを待って、沈痛な面持ちで教祖にお別れのご挨拶をされたのです。
その別れの挨拶をじっと聞いておられた教祖は、やがておもむろに口を開かれました。「尾形さん!あなたは病気に負けておられはせんですか!」とただ一言はっきり仰せになりました。
するとそれを聞いて、尾形さんは「一瞬何かしら雷のようなものが、頭の芯から腹の底まで貫かれたと感じると共に、不思議に心身がきれいさっぱりと清められた感じがした」といいます。
それから帰り道に足取りも軽く「そうか、やっぱり病に自分は負けておったんだな!教祖様のお話は頭でわかったつもりでも、
本当に分かっていなかったな!」と反省されて気持も新たになりますと病気のことなど忘れてしまいました。すると、次第に病気も治っていきやがて全快されたということです。
その後尾形長次郎先生は、お道の為ご指導に長く尽くされた方です。
「病気に負けるものか!」という心の強さを持つことを教えられた話です。「病気に負けるものか!」も結局は病気に向かって、ポジティブに生きることに尽きます。
静寂を楽しむ心