⑥ 大いなる奇跡と霊験 死んだ人を生き返らせた話

 

死んだ人が生き返るという話です。「そんな馬鹿なことがあるものか!」と考える方がいるかと思います。しかし古来の記録には結構あります。

 

世の中には常識では考えられない奇跡的出来事は起こるものです。下記3つの例に共通の事は、必死な人の願いや思いは天や神に通じるということです。それが奇跡を引き起こすと考えられます。

 

1.  白隠禅師の延命十句観音経霊験記

 

「延命十句観音経霊験記」には、死んだ人の生き返りの13例が書かれています。

 

この本を熟読していた時期がありましたが、その中で気付いた事は生き返りの例はすべて若い男女です。年寄りの生き返りは一例もありません。

 

息を引き取った人の枕元で修行僧や周りの縁者が、この十句経だけを精魂込めて一心不乱に唱えて生き返らせるのですから、驚嘆すべき出来事です。

 

当時の人々の信仰の厚さがなければ到底不可能な事です。真剣に必死に唱えれば息を吹き返すということを、固く信じていなければ出来ません。尤も数人で一体になって唱えていますので、集中力が倍増していると考えられます。

 

共に唱える人の中には簡単な延命10句経も知らない人もいますが、唱えている内覚えて懸命にやっている様子も書いてあります。生き返った人が話すあの世の様子も様々詳しく述べてありますが、当時の時代を反映しており面白いです。

 

そしてこの霊験記は、臨済宗の名僧ナンバーワンの白隠禅師の書かれた本ですべて事実です。

 

すべて事実ですと断言しましたが、断言しなければならないほどこのような奇跡を信じることが現在希薄になって、目に見えるものだけが信頼できるものになっています。

 

理論的に説明のつかない出来事は然るべき証拠がなければ信じるに値しない、怪しいものと見なされます。最先端の学者が、この霊験記を読んで果たして受け入れるでしょうか。

 

全く人を迷わせる偽物と決めつける筈です。理由はエビデンスがない、科学的でない等々。

 

読者の皆様はいかがでしょうか? これを真実だからと押付ける考えは毛頭ありませんが、物質主義の現代には一考すべき価値はあります。

 

只今息を引き取った人の傍らで、観音経を唱え出したら医者も家族も止めてくれと即座に止めに入るでしょう。

 

実証できる、目に見えるものだけが真実な世界ではなく、この世には目に見えない精神世界のあることの大事さが求められています。今この激動期は科学万能主義の終焉と限界を迎えているような気がしてならないのです。

 

巷で言われている2極化とは見えない世界、輪廻転生、死後の世界、宇宙人を信じる グループ或いは それらを科学的でない、迷信であると考えるグループのことを指しているのかもしれません。

 

十句観音経霊験記の解説者 曹洞宗の名僧原田祖岳老師は、以下の短いお経の第一句に対し

 

 「観世音(かんぜおん)を大声で観世音と唱えよ!道理は分かっても、分からなくてもよい!ただ観世音(かんぜおん)と唱えるのみ!」ときっぱり言明しておられます。

 

「無心で唱えれば、必ず限りなき霊験を感得すること夢疑うことなし!」と仰せられました。霊験とは何かを考える切っ掛けにして頂ければ幸いです。

 

2. 三度も生き返った話 黒住宗忠教祖の霊験

 

今回取り上げる宗忠教祖の例は,白隠禅師の書かれた霊験記よりまだスケールが一段と大きい話です。

 

福田主(ぬし)は重き病に臥し給うこと年々にして、すでに3度まで身まからんとなし給う。我 天津神、国津神を深く祈り奉りければ、不思議に快くなり給う。ありがたさのあまり、かくはべりぬ。

 

三度(みたび)まで生き返る人は、また唐天竺とわが朝(ちょう)になし」と歌われました。

 

この福田丑之助(ふくだ うしのすけ)という岡山藩士は3度も死亡され、3回も生き返えられました。4度目の瀕死の時にも、教祖がゆっくり息を吹きかけて「お取り次ぎ(黒住教独特の言葉)」をおこなうとまたも息をふきかえし、そのまま快方に向かい健康になったということです。

 

確かに3度も死んで3回も生き返った例は、歴史上何処にも見当たりませんので空前絶後の稀有な例です。

 

宗忠教祖の為された生き返りの例は他にもあります。教祖は奇跡はなにも特別なことではなく、信じれば必ず起きる事だと教えられています。

 

この方の不思議な霊験は無数と言っていい程伝えられています。「教祖様の御逸話」という本に書いてあります。

 

3. 滝沢 白竜著「古神道霊験秘話」より 死んだ赤子を神法により甦らせた医者の話 

 

この話は、死んだ赤ちゃんを生き返らせた話です。この医者の名前は、大島という方で医師として長崎の保健所に勤務しておられました。

 

ある日曜日の朝、若い奥さんが赤子を抱いて診察室に駆け込んできました。診察してみるともう危篤状態で助かる望みがない状態でした。

 

すぐに応急手当をしましたが、その赤ちゃんは残念ながらこと切れてしまったのです。

 

仕方なく「お気の毒です」とお悔やみを言って引き揚げようと廊下を歩いていると、その奥さんが「助けてください!助けてください!」と泣きながら大島さんに抱きついてきたそうです。

 

大島さんもやるだけやって手を尽くしたので、方法はありませんでした。しかしお気の毒な奥さんを其のままにできず、戻って死んだ赤ちゃんの脇に立ち腕を組み沈黙していました。

 

すると自分の腕がわなわなと震えだし、死んでいる赤子の腹上に伸び、すらすらとある霊譜(神文字、印)を書いていたそうです。

 

今までにこのような霊譜の伝授を受けたこともないのに、まったく無意識に書いていたそうです。

 

しばらくしてなんとその子の顔に赤みがさしてきました。結局その赤子は助かり、奥さんはわんわん泣きながら赤子を抱いて帰っていったそうです。

 

大島医者は以前から古神道に関心をお持ちの方でした。このように信じられない話ですが、現実に起こり得ることです。

 

人の魂は不可思議です。従来の科学一辺倒の物質的な思考方法から抜け出し、信じ切ることの大事さが奇跡を呼ぶと考えられます。

 

hinomoto(小生)自身の生き返った話 

 

私は終戦直後に宮崎県小林市で生まれました。生まれて間もなく100日咳にかかり、呼吸が止まってしまい唇が青くなって、いわゆる仮死状態になったそうです。

 

私の母はグッタリした赤ん坊を抱え、裸足で飛び出し近所の医者まで連れて行ったそうです。母は神に祈りながら無我夢中だったと思います。

 

溺愛していた5歳の長男を戦時中に上海で亡くしてしばらくしてから私が生まれましたので、気も狂わんばかりに生き返らせようと天に祈ったと想像します。

 

当時敗戦直後ですから薬も食べ物も何もない時代でした。お年寄りや赤ん坊は病気になったらそのまま死んでしまう時代でもありました。

 

実際近所でも毎日みたいに人が病気、事故で死んでいったそうです。GHQが「日本人は1000万人が餓死するだろう」と宣言した頃です。

 

そして母が医者の門をくぐり戸を開けた時に、不思議にも呼吸が始まり顔に赤みがさして生き返ったと私によく話していました。

 

母の命日になったらこの話を思い出し、自分は生かされた命を頂いて今生きているんだなとつくづく有難く感謝しています。これ以外に今までに危うく命が助かった経験は数回あり、守護霊のご加護を感謝しております。

 

多くの人の支えや天からの恵みが無ければ、ここまで生かされなかったのです。生きていることが奇跡でもあります。

 

 

静寂を楽しむ心

道元禅師坐像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻の名作 道元禅師坐像

 

      高岡銅器 田畑 功氏の幻の名作 道元禅師坐像

 

この坐像は約30年前に神奈川県の総持寺の専門僧のアドバイスを頂きながら制作しました。

 

特徴は坐禅の最も澄んだ高い境地の顔の表情にあります。真に深い禅定中になると口元が「へっつい口」(への字型)になるそうです。

 

その表情をブロンズにしました。高僧より「完璧な坐相である」と称賛されたこともあります。この作品は未公開作品の1体のみです。

 

今はせめて1体でも世に出して、認めてもらいという親心みたいな心情です。制作数は資金の関係上少数でしたが、すべて総持寺に寄贈しました。

 

お寺の方には高名な彫刻家 田畑 功氏の作品ということで、大変喜んでもらいました。お礼として賞状と立派な輪島塗のお盆を頂きました。お盆は今も使用せず大事に保管してあります。

 

後に知りましたが田畑氏の作品が大本山総持寺に既に設置してあり、何かのご縁を感じます。*蛍山禅師の像 6尺 / 大本山総持寺  大型のブロンズ像。

 

「坐禅の神様」と言われる道元禅師をモデルとして制作しましたが、道元禅師を売り物にすることに当時批判があり販売を諦めた経緯があります。

 

木箱のタイトルを急きょ「雲水」に変えましたが、今考えると初志を貫くべきであり30年前の苦い経験となりました。

 

この老年になると何故世間体を気にして中途で終えたのか、残り粕のような未練が今もブスブス燃え残っています。そこでこの思いを消し去ってから、あちらの世界へさっぱりと旅立しようとの決意です。

 

思い切って販売して世の中にこの坐像をお渡ししたい。勿論販売して「やっと世に認められた」という思いがあります。たとえ1体であっても満足です。

 

若かりし頃の禅への思い出

 

若かりし頃坐禅に憧れ禅を懸命に学んでいた時期に坐像制作を思いつき依頼しました。しかし坐像制作を批判され、禅すら商売道具にしている禅徒がいると批判の込められた本を今も持っています。まさしくそれは自分のことです。

 

単なる坐禅への憧れに財産を費やした無謀さは責められますが、あの時実行しなかったらこの老年になるまで後悔の念が残ったでしょう。失敗しても実行に移しただけでも良かったと思っています。

 

今世界は大きな曲がり角にきており、政治情勢、金融危機、気候大変動等揺すぶられ、煽られ、不安の気持ちで皆生きています。手探り状態で右顧左眄し何か求めながら暮らしています。

 

このような時期にはしっかり地に自分軸を立てどっしり生きることが求められています。自己への見直しが必須であるからこそ、静かに坐って悠然と静寂を楽しむ時間も必要になります。

 

「床の間においているだけで辺りに静寂さが生まれてくる坐像ですね!」とお褒めのコメントをあるご住職から当時もらったこともあります。お世辞だったかもしれませんが、懐かしく昔の事を思い出します。

 

ああ!世に役につ坐像だったのに!と少し悔やまれます。又永遠の光を放つ坐像を制作したんだなと誇らしくも感ぜられます。

 

圧倒的に読者も少ないこのブログで高価なブロンズを販売企画するのですから、ある意味では勇気の要る挑戦でもありますが、制作当時の純粋な思いは天に通じて巡り巡って誰かの手に渡ると信じています。

 

 

作品内容

① 高さ19㎝×幅14㎝×奥行12㎝ 重量3.4kg 収納箱付 

(ブロンズの後部と収納箱の裏に「功」のサインあり) 背景の木札と小屏風も含む

② 価格120,000円 一括払い 送料込み   

③ 販売数 2体(この2体のみが販売対象となります)

④ お申し込みはこの上部の「お問い合わせ蘭」よりお願いたします。お問い合わせの「内容蘭」に購入希望とお書き願います。氏名・メールアドレス・題名蘭もお書き入れ願います。

 

ご購入希望の方に郵貯の口座番号をご連絡して、入金確認後に速やかにお送りいたします。到着後7日以内は返品可です。

 

見事な坐相で永遠の静寂に包まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤大いなる奇跡と霊験  黒住宗忠教祖の大瀕死からの回復

黒住宗忠教祖の肖像画は多数ありますが、この教祖画が最も知られています。生前のお姿をよく表現されているのではないかと思われます。

 

冬至日のお生まれと天命直受の日 

 

黒住宗忠教祖は1780年(安永9年)の冬至、日の出時刻にお生まれになりました。

 

安永9年の子(ね)の年、子(ね)の月、子(ね)の日に当たります。後の天命直受の日も文化11年11月11日の冬至の日でした。1が連続6つあり冬至の日です。これだけでも人知では考えられない稀有な出来事です。

 

宗忠教祖ほど冬至にご縁のある方はおられません。後年の2021年の冬至の日もご遷化200年にあたり、まさしくグレート・コンジャクションの日にあたります。この日は占星学的に人類の意識の大変化日とも言われています。

 

宗忠教祖は若い時より真の道に深く関心があり、「生きながら神になる」ことを真剣に目指されていました。

 

 生きながら神を目指す

 

宗忠教祖のお人柄、求道の一途さが垣間見られる面白い逸話があります。

 

同じ神職仲間で湯浅薩摩という方とお友達とある宿に同宿されました。その時に湯浅氏が教祖に向かい「あなたが奉仕されている今村宮の御祭神は何神様ですか?」と質問されました。

 

それまで会話されていた教祖は、その時は何も返事されませんでした。湯浅氏が繰り返し尋ねられましたら教祖はそのままゆっくり立ち上がられ、寝巻きから着物、袴に着替え口をそそぎ、まっすぐに正座され、

 

「私の奉仕する今村宮の御祭神は天照大御神、春日の大神、八幡の大神の御三神であります」と丁寧にお答えになったということです。

 

湯浅氏は神様に対する教祖の人並ならぬ思いに大いに驚き又感心されました。「生きながら神を目指す」この気概の面目躍如たるものがあります。

 

そのために20歳の頃「心に悪しきことと知りながら、身に行うことのなきようにせば、神となるべし」と悟られ、忠実に実行されたと言われています。

 

 両親との死別 

 

 

元々大事に育てられ、池田藩の中でも評判の親孝行息子でした。藩から親孝行を表彰されたほどですから、心から両親に尽くされていたのです。

 

当時はやり病(赤痢)がその地方に大流行して、その大切なご両親を懸命の介抱にかかわらず一度に亡くされたのです。

 

その悲しみは到底尋常の悲しさではなく、お墓に行ってなかなか帰ってこられないので様子を見に行くと、教祖が気絶して倒れておられるほどでした。

 

極度の悲嘆から病気になり、労咳という昔は最も恐れられた病に罹(かか)られたのです。

 

そして病は進み医者に診てもらっても、到底助からない状態だったそうです。いよいよ臨終近くなりました。

 

もう最後の死ぬ直前にお日様を拝みたいと願われ、布団の中で両手を合わされ目を閉じられました。

 

まさに息を引き取るその時に「両親はこのまま死ぬと悲しむだろう。自分は生きながら神を目指したが、果たせずに残念だ!」と思われたそうです。

 

そして大変親不幸な死に方を目前にして「申し訳ない、せめて一息、二息でも生きよう!」とお日様に向かい息をされ、息に命が込められていきました。一息そして二息と呼吸を続けられました。

 

ご生還の歌

 

有り難き事のみ思え 人はただ

     今日の尊き 今のこころ

 

それから息が続いて出来るようになり、すこしづつ命を取り戻されていきました。

 

恐らく「 一息できたぞ! 次の息もできるぞ!」と確かめながら息をされていったものと想像されます。

 

生きられる有難さを回復まで一瞬の休みもなく、教祖は続けられたのでしょう。そして2か月後に不治の病から奇跡の回復を遂げられました。医者もさじを投げていた最悪の状態から見事に立ち直られました。

 

死ぬ直前になると極端に体力が落ちて来て、体温計も持てない位に弱るそうです。又病院のドアも開けられない位に体力が落ちてくると、もうダメだなと人は諦めるそうです。

 

恐らく教祖もそこまでなられたと思いますが、そこから一息一息有難い心が大きくなって回復されていったと拝察します。

 

2か月後お風呂に入りたいと言われるまで回復し、入浴後には労咳の病も消えてなくなりました。この日を「第二次の御日拝」と呼んでいます。心の大転換による奇跡が起こり、その日に教祖は床上げされました。

 

それから今村宮へゆっくり歩いて生き返られたお礼に向かわれましたが、途中に出会った村人達は教祖のお姿を拝し「黒住の旦那様のゆうれいが出た」と言って驚いたそうです。その時はもう生きられないという噂が村中に広がっていました。

 

このことを「難有り、有り難し」(自分の大/小難が、いずれ有難いことに変わる)といつも言われておられました。

 

魂の叫び歌

 

この歌は生きていることの有難さが味わえば味わうほど、深く心にしみ入ってくる歌です。それは教祖が死と直面され、息が絶える間際の魂の叫び歌だからです。

 

小生も病床の時はこの歌を短冊に墨で書いて壁に貼り、朝晩ご陽気修行と共にこの歌を唱えておりました。どれだけ元気づけられ助かったか 本当に感謝しています。

 

治る!治る!と繰り返し、念を込めながら一途に祈り込み、毎日ご陽気を下腹で吸えば必ず治ります。

 

病気でお苦しみの方は朝日に向かい深呼吸を繰り返し、この歌を感謝をもって毎朝唱え続けていくことが大事です。絶対快方に向かいます。

 

本当に治るのかどうか疑っては効果はありません。宗忠教祖は疑って行動しては、全く成果が出てこないと強調されています。心理学的にこのことを逆勢の法則と言います。

 

だから「自分の病は絶対治るんだ!」と確信してください。これについては教祖の教えの大事なポイントになります。絶対の信が条件です。

 

絶望の際(きわ)にいる時、生きる希望を失った時

 

もしこのブログをお読みの方で「絶望の際(きわ)におられる時、助けを求めても誰も助けてくれない時、死にたいと思われた時」是非この歌を何回も口に唱えて頂きたいと思います。

 

唱えれば唱えるほど、生きる力が腹の底から湧いてくるすばらしい歌です。魂を輝かせる希望が自然に生まれてきます。生きることの有難さが実感として溢れてきます。

 

死神に取り付かれてはなりません!圧倒的なご陽気の歌で積もり積もった陰気、邪気を払うことができます!

 

宗忠教祖の超人的霊力と人間性

 

* 教祖は一般の人が一日かかる程の距離を1~2時間で歩かれた話

 

* 腐りかけの酒造り中の酒、枯れかかった竹、木、植物をご神水で蘇生させた話

 

* 暗闇でも道、本が見える等数え切れないほどの奇跡を現わされました。

 

他に難病からの回復、死人を生き返らせた話など霊的奇跡話は無数にあります。教祖は一人の肉体を持った聖人というより、天照大御神の化身とも言うべき人類の大導師です。

 

宗忠教祖はイエス・キリストの生まれ変わりではないかと山田雅晴氏は述べておられます。確かにキリストの磔の死の年に天命直受の悟りを開かれ、第二の命を生きられたのです。

 

そしてキリストに伝わる奇跡はすべて実際に、衆目のなかで行われています。土肥家の掃き清められた柔らかい長い道を草鞋の跡が全くなく、いつもお歩きになった話もあります。(池田藩家老 土肥家の玄関門へのお話)

 

教書では集会ごとに多数奇跡が起きたことを述べておられます。詳しくは「教祖様の御逸話」に記載されています。(115の逸話。上記黒住教学院発行 )

 

尚教祖以外の高弟達多くのお道づれの方は、今も昔もさまざまな奇跡を現わされています。そして多数の人々を病、災難、事故等から救っておられます。

 

黒住教では奇跡的に病が治る、運命が好転する、商売が繁盛することなどを「おかげ」という独自の言葉を使っています。この教えを実行すれば、実に多くのおかげが受けられることが実際に起こります。

 

小生が教祖の教えに非常に惹かれるのもここにあります。徹底した明るい、前向きな人生態度や嘘、ごまかしの一切ない生き方が求められます。

 

 

又宗忠教祖に特筆すべきはお人柄のよさにあります。過去聖人はたくさんおられましたが、この方ほど純粋で柔らかく優しい方はおられません。

 

唯一の欠点は他人より借金を頼まれ、随分多く踏み倒されたご経験がおありですので情に厚過ぎることです。そのため弟子達が借金依頼には一切手を貸さないように固く禁じられていたということです。

 

もともとは池田藩の由緒あるお侍ですが、それにふさわしい凛とした男性的な面もお持ちでした。多くの武芸者が武道の究極の教えを聞きに訪れています。

 

* 最後に小生は宗忠教祖をお慕いしておりますが、入会への案内意図は全くありませんので誤解なきようお願いいたします。

 

言霊ブロンズの販売

2/2 高岡銅器 田畑 功 作 言霊ブロンズと坐像のご紹介 

 

 

④大いなる奇跡と霊験 未来の霊的治療法 時尾宗道高弟の骨髄炎が治る

 

 

 目に見えない力

 

本ブログはテーマである「言霊と太陽の恵み」を主として取り上げています。

 

心の働きは目に見えないだけに、科学の証明とは相反するテーマになります。

 

魂の開発、精神作用、心の問題、すべてひと昔前までは何か分からない得体のしれない扱いでしたが、今後は目に見えない力が本当の世界であり、一方物質的な3次元の世界は補助的扱いになるのではないかと考えています。

 

これからご案内の時尾宗道高弟は宗忠教祖の下で赤木高弟と双璧といわれた方です。幼い頃より神童といわれ才能豊かな方で有名でしたが、赤木高弟と同じく難病を抱えておられて骨髄炎でした。

 

 

難病「かくしっぽう」にかかる 

 

 

28歳の時腕がしびれ筆を持つことすらできなくなり、親指ほどの穴から血膿が流れるまでになりました。当時「かくしっぽう」と呼ばれた病気で、現在の病名は重度の脊椎カリエスです。

 

時尾高弟は教祖から以前教えを聞いておられてましたが、心の弱さや いまいち信が確固たるものでなかったため本来の活きた力が発揮されていませんでした。

 

恐らく天は宗道高弟に容赦のない試練を与えられたのだと思います。

 

時尾高弟は「自分は天照大御神の大道を教祖より、教えていただいて道を自分なりに勤めてきた。それにもかかわらず、このような不治の病にかかり治らず悪くなるばかりだ!」

 

と暗澹たる気持ちで、病床に伏せておられました。

 

普段から時尾高弟をお世話していた大庄屋の中山常次郎は

 

「 克太郎(時尾高弟)元気を出せ! 教祖様も『 すべて天命である。難が幸いにもなる!』 と仰せられている!

 

お前に教祖様は 『 何事も天のなすのと思いなば 苦にも世話にもならぬものなり』とこのようなお歌をくださった!」

 

と病床で慰めました。

 

世話にもならぬとは煩わしいこともないという意味です。天命と知っても、自分に降りかかった病気は難病だけにそんな天命はとても有難く受け入れがたかったのです。” こんなに死ぬほど苦しいのに何が天命だ!” と密かに思われたことでしょう!

 

全身激痛で歩くのも苦しんでいたからです。妻の千代の介抱がなければ生きてはおれなかったでしょう。しかしそんな難病(骨髄炎)が治ったのです。

 難病治る!

 

読者の皆様想像してほしい! 

 

これほどの難病を抱えた病人が最新の現代医学をもってしても治療が困難なのに、わずかな時間で治るものなのか!

 

赤木高弟は青そこい(緑内障)で見えなかった視力が瞬時に回復しました。宗忠教祖は無数と言えるほどの当時の悩める人びとを救っておられます。

 

現代でも多くの人びとが病気だけでなく、もろもろの事故、災難、災害等から「お取り次ぎ」により守られ、命が助かっています。

 

見えない力が働いていなければとてもできないことです。即ち神のお力であり、自己の持つ生命力です。

 

さて宗道高弟は常次郎の家の集まりに重症の身ながら、教祖とお会いすることができました。

 

そこで教祖は「時尾さん、講座で話をしなさい」と命じられました。

 

高弟は言われる通り、生まれて初めて講座へ上がり無我夢中で我を忘れて何かを語ったのです。もはや時間空間を超越した心境で無心で皆に話されました。知識ではなく素直に魂のままに!

 

続いて教祖が講座に上がられ、いきものに溢れた天言がびりびりと障子を鳴らし、集会全体が有難い感謝の念に満ち溢れていました。

 

すべての陰気は完全に払しょくされて、全体が神気に満たされました。集会の皆は口々に「有難い、有難い」と自然に唱えていました。

 

お説教が終わり教祖が拍手を打ち、時尾高弟も皆と合わせて力強く拍手を打ちました。

 

つい先ほどまでは腕が痛く拍手も打てなかったのに、力強く打てたのです。流れていたウミがいつのまにか乾いて、完全に治っていました。あれほど痛かった痛みも全く消えています。

 

いつの間にか治っていたことに対して、時尾高弟は「 先生、治りました!治りました!痛みもありません!」と感激で泣きながら、高弟は教祖にひれ伏して感謝されました。

 

かくしっぽうは跡形もなく治癒していました。一座の皆も驚くべき奇跡を目の当たりにして驚嘆して共に喜び合い、大きなどよめきが一座に溢れたと言います。

 

後に時尾高弟は

 

大明神(宗忠教祖)なかりせば、われは只病に身を終わる一患なり、

 

                今は一観者なり、道に遊ぶ 

 

と述懐されました。

 

この奇跡を考え検証しよう

 

この奇跡をじっくり各自が自分のお考えで、検証していただきたいと思います。 

 

医者から見放された業病にも一点の光が差し込むのではないか!

 

薬ではなかなか治らない難病、ワク○○後遺症も希望が見えるのではないか! 

 

本ブログの目的はいろいろ治る方法を模索している人に対し、太陽の恵みを参考にしていただくことにあります。

 

嘘か本当か、自分なりに独自に工夫して努力して検証していただくことにあります。「求めよさらば開かれん」の世界です。

 

最も教祖は「この道は、病治しの道にあらず。心直しの道である」また「病は道の入り口」と教えておられます。道はまだまだ深奥です。

 

そしてとかくこのような奇跡、おかげをいただいても時間が経つと、その有難さを忘れがちになるものです。決してその有難さを忘れてはなりません。

 

自分の体験

 

小生(hinomoto)も突然訪れた2020年初の健康不調は、今まで健康だっただけに本当に治るのかとても不安でした。自ら「爺さんスプリンター」と自惚れるほど俊足、健脚だったのに一時は足元もふらついていました。

 

しかし2020年4月太陽の神人・宗忠教祖の本と出会い、コロナ下で必死に本を頼りに一日も欠かさず朝昼の日拝修行によって健康になっていきました。日の出の素晴らしさを知ったのはそれからです。

 

ある人から「あなたは病気することにより目覚めのチャンスを天が授けてくださったのよ!」と言われて、「全くその通り!」と今は納得しています。教祖の「難有り、有難し」の典型例でしょう。

 

 

宗忠教祖について 

 

バシャール、並木良和さん、国内・海外の多くのスピリチュアルなインフルエンサー達がこぞって主張する「ワクワク感の重要性」を教祖は幕末に嬉しい面白い、楽しいという言葉で絶えず説いておられました。

 

教書を見れば、面白く(ワクワク)の表現のオンパレードです。幕末にはワクワクという言葉は、一般に使われておりません。面白く、楽しくという言葉を、宗教で使用された最初の聖人です。

 

今世紀の大変動時代を的確に見据えた偉大な神人宗忠教祖は、天照大御神の化身ではあるまいかと思えるほどです。

 

必ず治る④ 日拝治療法(2)

 

 

 

言霊ブロンズの販売

1/2 剣士像・言霊ブロンズのご案内・願望達成の最も近道!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③ 大いなる奇跡と霊験 未来の霊的治療法 岡田 敏子

 

 

 

岡田 敏子さんは黒住教東京大教会の初代設立者です。昭和6年 78歳で永眠されました。 彼女は28歳の時に、幕末の志士の夫と死に別れ幼い2児を抱えて生活していました。

 

生活に心身疲れ果てていたことが原因になったのでしょうか。不幸にも眼病にかかり手を尽くしても治らずとうとう盲目になってしまわれました。

 

 絶望のあげくこれから長い間人の世話になって生きるより、二人の子供と一緒にいっそ死んでしまおうと思われたのです。

 

婆やの登場

 

そしてご霊前に暫時お別れのお祈りをされてから泣いている兄の方を引き寄せて、いざ一突きと動かれたその刹那でした!

 

子供の泣き声を聞きつけた婆やが現れて

 

「まあ暫くお待ちください。 あなた様の御目さえ治れば、よろしいのでしょう。 近頃黒住様といって、有難いお話をなさる先生がいらっしゃいます。

 

どんな難病でも治るという噂です。死ぬほどの御覚悟ならどうか一週間の寿命をこの婆やにお預けください!」

 

と死ぬのを止めるように、一生懸命説得されたのです。

 

「分かりました。それでは1週間だけ思い止まります。後は決して止めないでください。」と仰って、婆やのすすめるその先生のお話をお聞きになりました。

 

 

            見えた!   見えた!   見えるようになった!

 

 

始めはさほど関心も湧かず、一向にお話しが耳にも入らず、早く1週間が終わればいいのにとその時は思われたそうです。

 

それが3日も経ちますと、ふと先生のお話が耳に入りどうにも行き詰まっていた気持ちに一筋の光が差し込みました。

 

「神様の御徳は本当にこの世にあるのではないか? 自分は考え違いをしていたのではなかろうか?」と気持ちが少し変わりました。

 

4日目からはお話が待ち遠しくなり、一言も聞き漏らすまいと熱心にお聞きになり5日目からは、今まで以上に心から有難く染み入るように感じられるまでになりました。

 

そして6日目の朝起床後障子からうっすらと日の影が漏れるのが見えて、思わず「婆や、もう夜が明けたのでしょうか?」と声をかけられました。

 

隣にいた婆やは

 

「夜が明けるのがお分かりになりましたか!お目が見えるようになりましたか!」と駆け寄り泣きながら抱きつかれました。

 

その時の岡田さんは

 

本当に目が見えるようになったのか! 夢ではあるまいか、神の御徳で見えるようになった!

 

と泣くほど感激され、その嬉しい気持ちは到底筆舌に尽くしがたいものであったと仰っておられます。

 

早速身を清めて、黒住教会に駆け付け神様にお礼を丁寧に申し上げられ「今後一生をかけてこの道のために捧げます」と固く誓われたそうです。

 

それから大車輪の如き長い半世紀の活躍の幕が切って落とされました !

 

 岡田さんの次男が満州の戦いで敵弾の破片2~3片が頭部に刺さったそうです。後頭部にあたりましたが、脳摸の最も危険な寸前で破片が止まっていたそうです。危うい所で即死を免れました。

 

「薄紙一枚で助かるとは奇跡そのもの」と軍医が言っていたといいます。これも偶然の幸運ではなく、母の無事を祈る一途な祈りのお蔭であると書かれています。

 

お亡くなる直前まで重病人の夫婦のためにお祈りされて、そのお祈りのおかげで重病の夫婦は回復されました。最後の言葉は「有難う、有難う、有難う」の3回の感謝の言葉でした。

 

 

東郷元帥の日本海海戦

 

 

興味深い話として、日露戦争の日本海海戦時に「皇国の荒廃この一戦にあり!」と全艦隊に号令した東郷元帥が、日本の運命に関わる大戦を前にして黒住教の東京教会に来られたのも、岡田敏子さんの時でした。

 

元帥の母親が熱心な黒住教の信者だったご縁から来られました。ロシアとの決戦に向けての心構えを尋ねた東郷司令長官に授かれた歌は

 

身も我も心もすてて

         たったひとつの誠ばかりに 

 

という宗忠教祖の歌でした。長官は海戦時旗艦三笠艦上にて、この歌を海戦中終始一心に唱えながら戦ったそうです。長官は身を捨てて指揮を執り、その結果敵のバルチック艦隊に対して史上稀に見る大勝利を収めました。

 

まさに神懸かりの空前の大勝利に寄与したのも天照大御神の御神徳ではなかったかと思われます。後に長官はお礼として黒住教に自筆の額を送られ、今も飾ってあります。

 

日本は天照大御神のご加護がある国なのです。そして我々個人も天照大御神を深く信じれば必ず守られます。

 

 

天照大御神!お願いだから助けてください!

 

小生の最も好きな言葉で岡田さんの「神の御徳は目にも見えず手にも取れないけれど、御すがりさえしていれば必ずお蔭が頂けるものです。神は外にあるのではなく自分の心が即ち神なのです。」という珠玉の言霊があります。

 

苦しい時、悔しい時、どうにもやるせない時、希望が見えない時これを何回も口ずさんでどれだけ助かったか、ホッとする癒しのやさしいお言葉です。自分を優しく包み込んでくれます。

 

大御神に御すがりすれば安心感が湧いてきて落ち着いてきます。尤も禅では「すがる」という言葉は絶対タブーでしたが、大いなる神は時には折れそうな弱い自分を助けて下さるのです。自分の中の神ですから。

 

必ず治る④ 日拝治療法(2)

 

 

言霊ブロンズ

1/2 剣士像・言霊ブロンズのご案内・願望達成の最も近道!

 

 

② 大いなる奇跡と霊験 未来の霊的治療法 奥村円左衛門の開眼

 

            3年間一度も欠かさず熱心に拝聴

 

奥村円左衛氏は宗忠様のお説教を毎月6回 3年間(計200回以上)盲目を治そうと、一度も欠かさず熱心に拝聴された方ですが、

 

結局自らの盲目は治らず宗忠様に最後のお別れのご挨拶をされて諦めようと決意されました。

 

「わたしは業が深いため、先生のおかげ(奇跡)をいただきませんでした。先生からじきじきの(おとりつぎ)を数多くいただきながらもわたしの目は開きません。

 

今日を限りにお参りを差し控えたいと存じます。」と沈痛な面持ちで思いを述べられました。

 

黙って聞いておられた宗忠様は「なんと広大なおかげを頂かれたものですな!有難い!」とパチパチと拍手をお打ちになって仰せになりました。

 

その盲人はあわてて「いや、おかげがなかったと申すのでございます」その言葉を抑えて宗忠様は、

 

「何を言われる!よく考えてごらんなさい。月6回の御会日を丸3年欠かさず参られた。その間ただの一回も病気なされず、無病息災で元気で参られた。家族や親類、近所のだれか病気してもまた何かあっても参れません。

 

それがなにひとつなく参られた! まことに広大な「おかげ」ではありませんか !  実にありがたいおかげを受けられたものだ!」と言ってまた拍手をお打ちになりました。

 

              なんと目が見えるようになった!

 

じっと黙って聞いていたその盲人は宗忠様の拍手とお言葉に「先生 間違っておりました!有難うございます!有難うございます。」とただありがたい感激が沸いてきて、何もかも忘れて玄関に飛び出しました。

 

そして感動の気持ちのまま杖を突くのも忘れて歩いていましたが、涼しい川風が顔に吹くのを感じて「川に近いらしい、ここはどこだろう?」とふと周りを見る気になったその時、たくさんの船の光景が両眼に現れ見えてきました。

 

「おお なんと目が明いた!見えるようになった!信じられないことだ!」と今までに経験もしたことのない大歓喜をその時始めて体験されました。

 

心の目が開いた結果、肉眼が見えるようになったという逸話です。なおこの話の主人公は岡山藩士 奥村円左衛門氏であると伝えられております。

 

           どうして目が見えるようになったのか考えよう!

 

円左衛門氏の目がどうして見えるようになったのかについて、あくまで個人的な見解であることをご承知おき願います。

 

まず3年間も休まず教祖の集会に参加する神への一途な誠の奉仕が挙げられます。そのおかげは本人のみならず周囲の人達にも及んでおります。

 

そしてその広大なおかげに気付かされ、感謝の思いが深く大きく湧いてきたその刹那に目が見えるという有難いおかげが生じました。

 

普段からの神への感謝の念がいかに大事であるのか考えさせられます。神へは誠のみが伝わるということです。ご神徳が如何に広大で深いかということに真に気付けば、本人の抱える病気は治るのではないか。

 

「一途な個人の祈りは天に通じて、ご神徳が得られ必要なものは与えられる」ということです。これから近代的医療に加えて日拝治療法(自然免疫力アップ法)が大いに活用される時代が来ると思います。

 

 

 

言霊ブロンズ

1/2 剣士像・言霊ブロンズのご案内・願望達成の最も近道!

 

 

 

 

 

① 大いなる奇跡と霊験 未來の霊的治療法 赤木忠春

 

 

「宗忠教祖の病説法」は病気治しの最も基本的考えです。 これをご理解の上、下記霊験をお読み頂ければ一層理解がすすみます。

必ず治る(14) 宗忠教祖の病説法

 

人の身体は病気に罹っても「医者と薬」だけに頼っていてはなかなか治りません。 今までの3次元だけの固定的治療法から新たな治療法を紹介していきます。

 

又吉野先生が主張しているように体に良くない小麦、植物性油、乳製品、甘いものを取らないことです。

 

未来の地球社会はますますこのような画期的で、霊的治療法又は波動治療法を研究し取り入れると考えます。 数千年間の物質世界から軽やかな精神世界へ移行していきます。

 

現代医学ではとても考えられない難病が治ることが奇跡として起きています。

 

「医者と薬」だけが唯一の治療世界から見ると、恐らく嘘に近い話かも知れません。 しかし今後注目される治療方法になる可能性を秘めています。

 

勿論近代医学を否定することではありません。 人は霊的存在であることの自覚が絶対必要です。

 

 

 赤木忠春高弟の目が見える!

 

どうして盲目が治ったのか考えよう。 このような驚くような奇跡を我々も体験したいものです。

 

赤木忠春と言えば黒住門徒の中でも、宗忠教祖が最も信頼された高弟のお一人です。現代でも難病であり治すのはほぼ不可能と言われる緑内障が即座に見えるようになった奇跡の話です。8年間の長い盲目期間でした。

 

この苦しい現状を打破されたのは、高弟の叔父が宗忠教祖の病気治しのお話をされ「一度教祖にお会いなされてみては!」と行くのを渋る高弟を宗忠教祖に逢いに行くように強く薦められました。

 

奇跡そのものを否定し、自分の失明がそう簡単に治るわけがない。治るなんていうのは怪しげな宗教の勧誘であると、知識人特有の猜疑心から思い込んでおられました。

 

「叔父さん、せっかくですが私の8年間の失明は、医術の力ではどうすることもできません。田舎の神主さんのおまじないで簡単に治るものでもありません」と何回も断りました。

 

なぜなら赤木高弟はかなりの仏教、易、儒教の本を読破した当時の最高のインテリだったのです。知識があるが故に理屈が先に立って奇跡で病が治る話をデマの類と見なしていました。

 

余りにも高弟が断るので、最後は叔父はカンカンに怒って縁切り話まで持ち出したということです。そこまでされては仕方がないので、とりあえず話を聞こうかと渋々一緒に集会場に行かれました。

 

高弟は集会場で宗忠教祖のお話をお聞きになり、次第に教祖の筏仙人の話に引き込まれ激しく心を打たれました。

 

何と8年間の盲目が見えるようになった!

 

そして大感激のあまり「この尊いお方はどのような方か!」と宗忠教祖の方を振り返られると、なんと今まで見えなかったお姿がはっきり見えてきて長年の失明がその場で回復されました。

 

「おお不思議だ! 目が見える、見えるようになった!8年間の盲目が見えるようになるとは!」と感激のあまりその場で大泣きされ、周囲の人もその様子を見て大感激されたそうです。

 

後に赤木高弟はこの奇跡的なご経験をいつも涙ながらに話され、一座の皆に自分の感激(おかげ)を伝えていたそうです。高弟の宗忠教祖に対する敬愛の深さは多くの歌に見事に表現されています。

 

又高弟の多くの門人や人々への病治しの奇跡は多くあり、京都の町に一大センセーショナルな旋風 (赤木騒動)を巻き起こしました。

 

赤木高弟はその後関白の二条家の信頼が厚くなり、幕末日本の夜明けの陰の立役者と言える尊いお方でした。蛤御門の政変における高弟の活躍振りが挙げられます。又高弟の奇跡の数々は目を見張るものがあります。

 

この奇跡が起きた理由について

 

どうしてこのような不可思議なことが起きるのか? 

 

禅には「仏法には不思議はない」という言葉があります。「奇跡的なことは起こらないから、そういうことに期待するなコツコツ励めそれが真の道だ」ということです。このような考えもありますが、一方奇跡は起きるし現に起きています。

 

宗忠教祖のお話は人の心を活かす力をお持ちの方で説教時の迫力と力強さは、普通の常識をはるかに超えて人々を感動させ、神と繋がり多くの奇跡が生まれています。

 

では宗忠教祖しかこのような奇跡は起こせないのか? いや多くの門弟達はこのような奇跡を起こして、多くの人を救っています。無数と言っていいほど病治しの話はあります。

 

「どうしてこのような不思議なことが起きるのか?」この答えは残念ながら個人が真剣に求めて、自ら体験しなければ得られないものです。自ら掴んで得るしかないということです。

 

 

「言霊ブロンズの販売」

言霊ブロンズは言霊を繰り返し唱えて願望を現実化させます。ご参照願います。 

剣士像・言霊ブロンズのご案内・願望達成の最も近道!

1/2 剣士像・言霊ブロンズのご案内

 

 

剣士像・言霊ブロンズのご案内 

剣士像・言霊ブロンズの写真は以下の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

ご自分の名前、出身地、家族の系譜、信条、遺言等を箱の表面や側面に書き残してください。墨字は数百年は残ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モバイルバージョンを終了