⑥ 大いなる奇跡と霊験 死んだ人を生き返らせた話
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死んだ人が生き返るという話です。「そんな馬鹿なことがあるものか!」と考える方がいるかと思います。しかし古来の記録には結構あります。
世の中には常識では考えられない奇跡的出来事は起こるものです。下記3つの例に共通の事は、必死な人の願いや思いは天や神に通じるということです。それが奇跡を引き起こすと考えられます。
1. 白隠禅師の延命十句観音経霊験記
「延命十句観音経霊験記」には、死んだ人の生き返りの13例が書かれています。
この本を熟読していた時期がありましたが、その中で気付いた事は生き返りの例はすべて若い男女です。年寄りの生き返りは一例もありません。
息を引き取った人の枕元で修行僧や周りの縁者が、この十句経だけを精魂込めて一心不乱に唱えて生き返らせるのですから、驚嘆すべき出来事です。
当時の人々の信仰の厚さがなければ到底不可能な事です。真剣に必死に唱えれば息を吹き返すということを、固く信じていなければ出来ません。尤も数人で一体になって唱えていますので、集中力が倍増していると考えられます。
共に唱える人の中には簡単な延命10句経も知らない人もいますが、唱えている内覚えて懸命にやっている様子も書いてあります。生き返った人が話すあの世の様子も様々詳しく述べてありますが、当時の時代を反映しており面白いです。
そしてこの霊験記は、臨済宗の名僧ナンバーワンの白隠禅師の書かれた本ですべて事実です。
すべて事実ですと断言しましたが、断言しなければならないほどこのような奇跡を信じることが現在希薄になって、目に見えるものだけが信頼できるものになっています。
理論的に説明のつかない出来事は然るべき証拠がなければ信じるに値しない、怪しいものと見なされます。最先端の学者が、この霊験記を読んで果たして受け入れるでしょうか。
全く人を迷わせる偽物と決めつける筈です。理由はエビデンスがない、科学的でない等々。
読者の皆様はいかがでしょうか? これを真実だからと押付ける考えは毛頭ありませんが、物質主義の現代には一考すべき価値はあります。
只今息を引き取った人の傍らで、観音経を唱え出したら医者も家族も止めてくれと即座に止めに入るでしょう。
実証できる、目に見えるものだけが真実な世界ではなく、この世には目に見えない精神世界のあることの大事さが求められています。今この激動期は科学万能主義の終焉と限界を迎えているような気がしてならないのです。
巷で言われている2極化とは見えない世界、輪廻転生、死後の世界、宇宙人を信じる グループ或いは それらを科学的でない、迷信であると考えるグループのことを指しているのかもしれません。
十句観音経霊験記の解説者 曹洞宗の名僧原田祖岳老師は、以下の短いお経の第一句に対し
「観世音(かんぜおん)を大声で観世音と唱えよ!道理は分かっても、分からなくてもよい!ただ観世音(かんぜおん)と唱えるのみ!」ときっぱり言明しておられます。
「無心で唱えれば、必ず限りなき霊験を感得すること夢疑うことなし!」と仰せられました。霊験とは何かを考える切っ掛けにして頂ければ幸いです。
2. 三度も生き返った話 黒住宗忠教祖の霊験
今回取り上げる宗忠教祖の例は,白隠禅師の書かれた霊験記よりまだスケールが一段と大きい話です。
福田主(ぬし)は重き病に臥し給うこと年々にして、すでに3度まで身まからんとなし給う。我 天津神、国津神を深く祈り奉りければ、不思議に快くなり給う。ありがたさのあまり、かくはべりぬ。
「三度(みたび)まで生き返る人は、また唐天竺とわが朝(ちょう)になし」と歌われました。
この福田丑之助(ふくだ うしのすけ)という岡山藩士は3度も死亡され、3回も生き返えられました。4度目の瀕死の時にも、教祖がゆっくり息を吹きかけて「お取り次ぎ(黒住教独特の言葉)」をおこなうとまたも息をふきかえし、そのまま快方に向かい健康になったということです。
確かに3度も死んで3回も生き返った例は、歴史上何処にも見当たりませんので空前絶後の稀有な例です。
宗忠教祖の為された生き返りの例は他にもあります。教祖は奇跡はなにも特別なことではなく、信じれば必ず起きる事だと教えられています。
この方の不思議な霊験は無数と言っていい程伝えられています。「教祖様の御逸話」という本に書いてあります。
3. 滝沢 白竜著「古神道霊験秘話」より 死んだ赤子を神法により甦らせた医者の話
この話は、死んだ赤ちゃんを生き返らせた話です。この医者の名前は、大島という方で医師として長崎の保健所に勤務しておられました。
ある日曜日の朝、若い奥さんが赤子を抱いて診察室に駆け込んできました。診察してみるともう危篤状態で助かる望みがない状態でした。
すぐに応急手当をしましたが、その赤ちゃんは残念ながらこと切れてしまったのです。
仕方なく「お気の毒です」とお悔やみを言って引き揚げようと廊下を歩いていると、その奥さんが「助けてください!助けてください!」と泣きながら大島さんに抱きついてきたそうです。
大島さんもやるだけやって手を尽くしたので、方法はありませんでした。しかしお気の毒な奥さんを其のままにできず、戻って死んだ赤ちゃんの脇に立ち腕を組み沈黙していました。
すると自分の腕がわなわなと震えだし、死んでいる赤子の腹上に伸び、すらすらとある霊譜(神文字、印)を書いていたそうです。
今までにこのような霊譜の伝授を受けたこともないのに、まったく無意識に書いていたそうです。
しばらくしてなんとその子の顔に赤みがさしてきました。結局その赤子は助かり、奥さんはわんわん泣きながら赤子を抱いて帰っていったそうです。
大島医者は以前から古神道に関心をお持ちの方でした。このように信じられない話ですが、現実に起こり得ることです。
人の魂は不可思議です。従来の科学一辺倒の物質的な思考方法から抜け出し、信じ切ることの大事さが奇跡を呼ぶと考えられます。
hinomoto(小生)自身の生き返った話
私は終戦直後に宮崎県小林市で生まれました。生まれて間もなく100日咳にかかり、呼吸が止まってしまい唇が青くなって、いわゆる仮死状態になったそうです。
私の母はグッタリした赤ん坊を抱え、裸足で飛び出し近所の医者まで連れて行ったそうです。母は神に祈りながら無我夢中だったと思います。
溺愛していた5歳の長男を戦時中に上海で亡くしてしばらくしてから私が生まれましたので、気も狂わんばかりに生き返らせようと天に祈ったと想像します。
当時敗戦直後ですから薬も食べ物も何もない時代でした。お年寄りや赤ん坊は病気になったらそのまま死んでしまう時代でもありました。
実際近所でも毎日みたいに人が病気、事故で死んでいったそうです。GHQが「日本人は1000万人が餓死するだろう」と宣言した頃です。
そして母が医者の門をくぐり戸を開けた時に、不思議にも呼吸が始まり顔に赤みがさして生き返ったと私によく話していました。
母の命日になったらこの話を思い出し、自分は生かされた命を頂いて今生きているんだなとつくづく有難く感謝しています。これ以外に今までに危うく命が助かった経験は数回あり、守護霊のご加護を感謝しております。
多くの人の支えや天からの恵みが無ければ、ここまで生かされなかったのです。生きていることが奇跡でもあります。
静寂を楽しむ心