• 太陽の恵み

 

 

 目に見えない力

 

本ブログはテーマである「言霊と太陽の恵み」を主として取り上げています。

 

心の働きは目に見えないだけに、科学の証明とは相反するテーマになります。

 

魂の開発、精神作用、心の問題、すべてひと昔前までは何か分からない得体のしれない扱いでしたが、今後は目に見えない力が本当の世界であり、一方物質的な3次元の世界は補助的扱いになるのではないかと考えています。

 

これからご案内の時尾宗道高弟は宗忠教祖の下で赤木高弟と双璧といわれた方です。幼い頃より神童といわれ才能豊かな方で有名でしたが、赤木高弟と同じく難病を抱えておられて骨髄炎でした。

 

 

難病「かくしっぽう」にかかる 

 

 

28歳の時腕がしびれ筆を持つことすらできなくなり、親指ほどの穴から血膿が流れるまでになりました。当時「かくしっぽう」と呼ばれた病気で、現在の病名は重度の脊椎カリエスです。

 

時尾高弟は教祖から以前教えを聞いておられてましたが、心の弱さや いまいち信が確固たるものでなかったため本来の活きた力が発揮されていませんでした。

 

恐らく天は宗道高弟に容赦のない試練を与えられたのだと思います。

 

時尾高弟は「自分は天照大御神の大道を教祖より、教えていただいて道を自分なりに勤めてきた。それにもかかわらず、このような不治の病にかかり治らず悪くなるばかりだ!」

 

と暗澹たる気持ちで、病床に伏せておられました。

 

普段から時尾高弟をお世話していた大庄屋の中山常次郎は

 

「 克太郎(時尾高弟)元気を出せ! 教祖様も『 すべて天命である。難が幸いにもなる!』 と仰せられている!

 

お前に教祖様は 『 何事も天のなすのと思いなば 苦にも世話にもならぬものなり』とこのようなお歌をくださった!」

 

と病床で慰めました。

 

世話にもならぬとは煩わしいこともないという意味です。天命と知っても、自分に降りかかった病気は難病だけにそんな天命はとても有難く受け入れがたかったのです。” こんなに死ぬほど苦しいのに何が天命だ!” と密かに思われたことでしょう!

 

全身激痛で歩くのも苦しんでいたからです。妻の千代の介抱がなければ生きてはおれなかったでしょう。しかしそんな難病(骨髄炎)が治ったのです。

 難病治る!

 

読者の皆様想像してほしい! 

 

これほどの難病を抱えた病人が最新の現代医学をもってしても治療が困難なのに、わずかな時間で治るものなのか!

 

赤木高弟は青そこい(緑内障)で見えなかった視力が瞬時に回復しました。宗忠教祖は無数と言えるほどの当時の悩める人びとを救っておられます。

 

現代でも多くの人びとが病気だけでなく、もろもろの事故、災難、災害等から「お取り次ぎ」により守られ、命が助かっています。

 

見えない力が働いていなければとてもできないことです。即ち神のお力であり、自己の持つ生命力です。

 

さて宗道高弟は常次郎の家の集まりに重症の身ながら、教祖とお会いすることができました。

 

そこで教祖は「時尾さん、講座で話をしなさい」と命じられました。

 

高弟は言われる通り、生まれて初めて講座へ上がり無我夢中で我を忘れて何かを語ったのです。もはや時間空間を超越した心境で無心で皆に話されました。知識ではなく素直に魂のままに!

 

続いて教祖が講座に上がられ、いきものに溢れた天言がびりびりと障子を鳴らし、集会全体が有難い感謝の念に満ち溢れていました。

 

すべての陰気は完全に払しょくされて、全体が神気に満たされました。集会の皆は口々に「有難い、有難い」と自然に唱えていました。

 

お説教が終わり教祖が拍手を打ち、時尾高弟も皆と合わせて力強く拍手を打ちました。

 

つい先ほどまでは腕が痛く拍手も打てなかったのに、力強く打てたのです。流れていたウミがいつのまにか乾いて、完全に治っていました。あれほど痛かった痛みも全く消えています。

 

いつの間にか治っていたことに対して、時尾高弟は「 先生、治りました!治りました!痛みもありません!」と感激で泣きながら、高弟は教祖にひれ伏して感謝されました。

 

かくしっぽうは跡形もなく治癒していました。一座の皆も驚くべき奇跡を目の当たりにして驚嘆して共に喜び合い、大きなどよめきが一座に溢れたと言います。

 

後に時尾高弟は

 

大明神(宗忠教祖)なかりせば、われは只病に身を終わる一患なり、

 

                今は一観者なり、道に遊ぶ 

 

と述懐されました。

 

この奇跡を考え検証しよう

 

この奇跡をじっくり各自が自分のお考えで、検証していただきたいと思います。 

 

医者から見放された業病にも一点の光が差し込むのではないか!

 

薬ではなかなか治らない難病、ワク○○後遺症も希望が見えるのではないか! 

 

本ブログの目的はいろいろ治る方法を模索している人に対し、太陽の恵みを参考にしていただくことにあります。

 

嘘か本当か、自分なりに独自に工夫して努力して検証していただくことにあります。「求めよさらば開かれん」の世界です。

 

最も教祖は「この道は、病治しの道にあらず。心直しの道である」また「病は道の入り口」と教えておられます。道はまだまだ深奥です。

 

そしてとかくこのような奇跡、おかげをいただいても時間が経つと、その有難さを忘れがちになるものです。決してその有難さを忘れてはなりません。

 

自分の体験

 

小生(hinomoto)も突然訪れた2020年初の健康不調は、今まで健康だっただけに本当に治るのかとても不安でした。自ら「爺さんスプリンター」と自惚れるほど俊足、健脚だったのに一時は足元もふらついていました。

 

しかし2020年4月太陽の神人・宗忠教祖の本と出会い、コロナ下で必死に本を頼りに一日も欠かさず朝昼の日拝修行によって健康になっていきました。日の出の素晴らしさを知ったのはそれからです。

 

ある人から「あなたは病気することにより目覚めのチャンスを天が授けてくださったのよ!」と言われて、「全くその通り!」と今は納得しています。教祖の「難有り、有難し」の典型例でしょう。

 

 

宗忠教祖について 

 

バシャール、並木良和さん、国内・海外の多くのスピリチュアルなインフルエンサー達がこぞって主張する「ワクワク感の重要性」を教祖は幕末に嬉しい面白い、楽しいという言葉で絶えず説いておられました。

 

教書を見れば、面白く(ワクワク)の表現のオンパレードです。幕末にはワクワクという言葉は、一般に使われておりません。面白く、楽しくという言葉を、宗教で使用された最初の聖人です。

 

今世紀の大変動時代を的確に見据えた偉大な神人宗忠教祖は、天照大御神の化身ではあるまいかと思えるほどです。

 

必ず治る④ 日拝治療法(2)

 

 

 

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