• 太陽の恵み
燕のひながもうすぐ旅立ちます。手前の紐とビニールはカラスよけです。

黒住宗忠教祖の御逸話から今回から宗忠教祖にまつわる話を取り上げていこうと思っています。多くの逸話が残っており、どれもが学ぶべき心の教訓が伝えられています。

 

その前に小生が何故宗忠教祖に惹かれたかその理由を簡単に述べようと思います。

 

それは教祖は楽しい、嬉しい、面白いを全面的に教えとして打ち出している方だったからです。自分の学生時代18~19才の頃に安心を求め、精神盤石の境地に憧れ禅にたどりつきました。以来50年満足ゆく結果はどうしても得られませんでした。

 

しかし宗忠教祖の底抜けに明るい人生謳歌の道を知り、本を読み学んで死ぬまでにどうしても全身で味わいたい教えとして間違いない確信を老年ながら得たことから始まります。禅から天照大御神への転換でした!

 

今基礎から学びながら皆様にキリストにも匹敵する方が現実に岡山に生まれ、幕末に活動された逸話をどうしてもご紹介したいと考えておりその機を得ました。

 

神国日本の有難さ

 

 幕末に倉敷市玉島に中野屋庄兵衛という信仰の厚い方がおられました。この方はひとえに宗忠教祖を信じて修行も重ねられた篤信家です。

 

この人が重い病にかかり死際に「天命なら仕方がないが、最後に教祖様の[おかげ]を受けて死にたいものだ。叶えて欲しい!」と切なる言葉を残してとうとう亡くなってしましました。

 

家人は衆議一決してあれほど望んでいたのだから、せめて死後に教祖様をお呼びして弔ってもらおうということになりました。

 

呼ばれた宗忠教祖は事切れて相当時間も経過して、完全に冷たくなってしまった庄兵衛さんに向かいご祈念を始められました。

 

当時の事を松岡清美先生が詳細に記述しておられます。宗忠教祖から「松岡さん、私がご祈念しますから一緒にご祈念願います」と頼まれたそうです。そして宗忠教祖は悠然とお祓いを始められました。

 

松岡氏は「死体に触るとひんやり冷たいし、これで果たして生き返るのかな」と思われたそうですが教祖のお祓いのリンリンたる澄んだお祓いに励まされてお祓いを始めました。

 

だんだん時間経過とともに死相がはっきりして、もうお祓いも止めてしまおうかと諦めかけておられたそうです。一方教祖はお構いなくお祓いを力強く、繰り返し繰り返し唱えられていました。

 

何本目かのお祓いが終わり最後の「とおかみえみため」が終わった刹那に、不意に力強くウンと声を発して冷たくなり切った死人が生き返ったのです。まことに広大なご神縁が現れたのです。

 

そのあとで教祖がしみじみと松岡先生にお話になりました。「松岡さん!ご神徳は有難いものです。この日本は神国です。神国日本の有難さは格別で、なんとご覧のとおり死人が生きかえりました。

 

既にことぎれた死人がよみがえる。まことに不思議ですが全くご神徳のありがたさであります。思えば思うほどありがたいことです」との教祖の強きお言葉の威に打たれて、思わず松岡先生は頭を深々と下げられたといいます。

 

このような死人がよみがえるお話はひんぱんに逸話や教徒のお話に出てまいります。このような奇跡を信じられないと思われるでしょうが事実です。小生が無限の力を感じる次第です。

 

死後12時間以上も経過した赤ん坊の蘇生した話が教徒の昭和の小冊子にあります。黒住教ではこれらを「おかげ」と言っています。無数の驚くべき奇跡のおかげ話があります。