• 太陽の恵み
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日拝の力 難病より奇跡の生還

 

「鎮守の杜の神々」から 奇跡の生還 

 

医者から見放された病人が奇跡的に助かった話です。

 

江藤さんには子供が無くて姪の佐喜子さんを幼い頃幼女に貰い、家族3人で暮らしていました。夫に先立たれて後は奥さんは佐喜子さんを頼りにしておられましたが、高校卒業前に結核性の腰部関節炎にかかり療養しておられました。

 

その療養中に急性盲腸炎になりさらに手当が遅れて手術前に盲腸が破裂してしまい、病状が悪化して危篤状態までになってしまったのです。手術も3回も重ねて体力も衰弱して、医師はもう助かる見込みはないと診断しました。

 

江藤さんは平素は信心のない人ではありましたが「この上は神様にすがるしか道はない。近所に住んでいながらいつも無信心で、神に頼みを聞いてはもらえないかも知れないが、どうにかして娘を助けてやりたい」と必死の思いで頼みに来られました。昭和30年8月のことです。

 

潮宮司はその依頼を受けて平癒の御祈願を申し上げました。神示は「幸いにも一命を取り止める」ということです。

 

電話で早速その旨を伝えましたら「本当に助けて下さるのですね。有難い 有難い」と江藤さんは絶句され喜ばれたそうです。

 

というのは、先ほどから佐喜子さんの容態が一変してにわかに快方に向かい、その急変ぶりに医師がけげんの面持ちで信じられない表情であったということです。

 

「佐喜子は助かった、助かった。神様のお蔭で救われた!」と思うと急に熱いものがこみ上げてきて涙が、とめどもなく流れ落ちたそうです。

 

佐喜子さんはそれから20日目の9月8日に退院しました。養母に付き添われて参拝に来られた佐喜子さんは殊の外元気そうな顔でした。

 

その時19歳であった佐喜子さんはその感激が忘れられず、以来月並祭には必ず参拝されたということです。

 

そのうち足を折り曲げることも難しく、ほとんど不治の病と思っていた関節炎の後遺症も次第によくなり半年後には全快したということです。

 

毎年新春には大阪から帰ってきて、お礼のお参りを欠かさなかったそうです。神の有難さが身に沁みて感じられた佐喜子さんは、新春の社頭に深々と額ずく姿が見られました。