必ず治る⑮ 宗忠教祖の弟子 星島宮子の生還
「いのちの教え」山田 敏雄著より
病気にかかった時
今回は以前書きました「いのちの教え」山田敏雄著より「こころ」のあり方について紹介いたします。
当ブログのテーマの一つは「病治し」ですが、今まで紹介した内容はすべて「目に見えない世界」を扱い「こころ」について論じてきました。今回は「どのような心構えが必要か」について案内いたします。
闘病という言葉があります。病と全面対決して治していく方法です。確かにhinomotoも風邪を引いた場合は、自分の中の風邪と対決姿勢をもって「風邪に負けるもんか」と強い気持ちで闘って治してきた自己実績があります。
それも一度や二度でありません。風邪を引いた場合気持ちを引き締め、気持ちが「だらけない」ように過ごし気合で治してきました。
これは病気が軽い場合は効果はありますが、かなり重症の場合は効果は少ないと思われます。そこで教祖は病と闘うのではなく「こころのあり方を変えよ」と説かれています。
瀕死の重病を「こころのあり方で治した事例」を挙げます。
1.危篤の弟子が立ち上がった!
宗忠教祖の弟子で女流三傑と呼ばれた星島宮子は、大病を患い挙句に危篤に陥ってしまいました。大病を患い「おかげをいただきたい」と教祖に懇願していましたが、多忙を極めていた教祖はすぐ駆け付けることができず、宮子が危篤状態になって訪ねることができました。
そんなある日のこと玄関に人の気配がしたので看病の者が「どなたでしょうか」と問うと、よく響く澄み切った声で「黒住左京でござる!」とリンとした声です。
その声を聴くや否や危篤だったはずの宮子がむっくり起き上がり、玄関まで走り寄って「ありがとうございます!」とあとは言葉が続かず、じっと頭を下げて教祖を迎え入れました。
この様子を見た教祖は「あなたは大病で伏せておられると聞いていましたのに…」とここで始めて我に返った宮子は驚き「ああ、ありがとうございます!」と全身に感謝の念が溢れ、改めて返事をしました。
周囲の者も危篤状態で動くことさえできない宮子が、教祖を玄関まで出迎えたこの出来事にただ驚くばかりだったのですが、その後宮子の病気は信じられない早さで回復に向かいました。
実は宗忠教祖と宮子の師弟関係はまことに密なるものがあり、天照大御神と一体の教祖に対する尊崇の念は人一倍深いものがあったということが指摘できます。
宮子は危篤状態ではありましたが、心待ちにしていた教祖の直接の見舞いを受けて、その時の感激と感謝は驚くほど大きく潜在的自然治癒力を一気に驚異的に高めたものと思われます。
2.心臓発作が治る
同じような奇跡的に治った話が1950年(昭和25年)の夏女性信者の方にあります。その方は流産による出血の際に使用された麻酔薬によって、日々心臓発作に襲われるようになりました。
ある夜脈が数えられない程早くなり、息もできない状態に陥ってしまい、このまま死んでしまうと思われたそうです。ところが傍らで寝ている長男の顔がふと目に入り「この子を残して死ぬわけにはいかない。死にたくない」と強く思われ神棚にあった「道のしおり」を夫に取ってもらい、薄れそうな意識の中で懸命に大祓詞を上げて祈りました。
「 宗忠の神様この幼子を残して死ぬわけにはいきません。どうかこの子が成人するまで私に命をください。助けていただいたら、どんな辛い目にあってもどんなに貧乏になっても泣きません 」
すると大祓詞を7、8本上げたところで苦しみがサッと消えました。
その後何日か経って、苦しみの中で一生懸命お祓いを上げていると玄関の方から「ごめんください」と声がして紋付羽織姿の宗忠の神様が現れました。
ハッとして目が覚め夢だったことに気が付きましたが、有難さともったいなさで胸がいっぱいになり涙がとめどもなく流れ落ちました。
その夢を見た時から、薄紙をはがすように発作が治まり起き上がるまでになりました。その後さらに二人の息子に恵まれ当時3才だった息子も今は60歳近くになりました。
上記2例に見られる「ありがたい」の心は「天照大御神の永遠に生き通しの御心」そのものです。それが一つになった時に奇跡は生まれます。
生き死にも 富も貧苦も 何もかも
心一つの用いようなり 宗忠教祖の歌です。
⁂ 尚現代医学で治せる病気は、当然ながら薬等を用いて治すのが最善と考えます。
「いのちの教え」の著者山田敏雄氏は黒住教徒の方で、この本は2008年9月株式会社テーミスの初版発行です。現在販売されているかどうか分かりませんが、宗忠教祖の教えが、詳しく分かり易く説かれています。
下記を参照してください