高橋宥明上人 明治37年 大正3年57歳にて示寂
高橋宥明上人神変記 大橋博吉著より
原田祖岳老師の序について
この本に序を書かれた原田祖岳老師(内容は一部略)は、この本の作者・大橋大佐と長年参禅の師匠・弟子の間柄です。又大佐は神通力を持った高橋宥明(たかはし ゆうみょう)上人とお知り合いで、この和尚さんの神変不可思議な多くの実例談を昭和10年に本にされました。
「私(原田老師)も他に数名の方から宥明上人の話は聞かされており、極まりない通力の持ち主であったことを確認しました。
仏教に天眼通、天耳通、宿命通、他心通、神境通、漏盡通の6通があり、本記に100近くの奇跡事例によって判断すると天眼、天耳、神境、他心通の4通に通達しておられることは明白で、稀に見る道者です。
唯物論化し実利主義化し、個人主義化した現在にとって実は科学知識の及ばない世界が限りなくあり、我々の本質には無限の霊能と無限の世界が存在しています。
しかし宥明上人の神変力を以てそれを宗教であるとか、如来の真の通力であると考えてはなりません」と述べておられます。見えない世界を肯定しつつも釘を刺すところは注意喚起しておられます。
この宥明上人の稀に見る力と見えない世界を、もっと世の人々に知ってもらいたいとの願いからブログにまとめました。上人は高野山の弘法大師と過去世に深いご縁のある方と拝察します。
大橋大佐と宥明上人の関係
本題にはいりますが興味深い話の事例をいくつか案内する前に、大佐と上人(和尚)の関係を説明します。
大佐が山形連隊に奉職していた明治31年に、隊から夕方下宿に帰り,座敷の障子を明け放し机に向かっていました。その時突然法衣を着たお坊さんが,縁側の先にニコニコしながら立っています。
何だか変な坊さんだなと思い、「どうぞお上がり下さい」と申しますと「明日又くる」とお坊さんは言って出ていきました。
今思い出すとその場所から忽然と消えたのではないかと思われ、表に歩み出た様子がなかったのです。ただし別に気にも留めずに翌日出勤しました。
帰宅後煙草を吹かしていましたら、例の通りニコニコしながら「お前は今日職場で心にもない事を喋るのは良くないよ!」といきなり初対面で内心をズバリ注意されたのです。
確かに今日帰宅前に戦術研究で論戦を試み真っ当な正攻戦術に対して、敢えて反対論の立場で大いに議論しました。そこを指摘されました。
そして「お前の所に居ていいか」と聞かれ、「いいですよ」と答え二人で食事をしてその日は寝ました。それからというものは2日位居たかと思うと、3日ないし7日位は不在したり或いは数十日は滞在したりの生活が2年経過しました。
このお坊さんは山形県の荻という寒村で生まれて少々足りない方であったらしく字が読めなくてお経も全く知りませんが、真言陀羅尼だけはいつも繰り返して唱えていました。
神変1 投げ筆
投げ筆はどういうことかと言うと、書いてもらいたい自宅において何も書かれていない和紙を丸めて帯封をして仏壇か神棚に安置します。
そして離れた場所から宥明上人が念じながら筆に少し墨を付けて、頃合いを定めて1メートル近く離れた畳の上か廊下等に投げ入れますと、離れた家の和紙の上に龍の絵とか大黒天王,梵字,カラスとかが描かれているということです。
字が書けた時は筆の先が前方に向き、たとえ投げた時に筆の先端がこちらを向いていても字が書けておれば筆は自然に先方に向き直ります。
出来上がった龍の字もことごとく異なり同じものがなく、尾の方が威勢よく上がったり二つに分かれたりしています。
大佐の知合いの産婆で石井(東京都中野区)という人が是非龍の絵を書いて頂きたいと頼むので、和尚に話しますと了承して石井家に紙を置きましたところ、投げ筆で描かれた龍の絵は尻尾二つに分かれていました。
これを見て和尚は「今に家は二軒に分かれるよ」と申しましたが、現在増築してその通りになっています。
神変2 雨に濡れない
大佐の家に遊びに来る将校連中の間にも、不思議な和尚の存在が噂に登るようになってきました。ある日皆と話をしていたら、和尚が一度隊内を見たいと頼みますので「午後4時以降なら暇だから来い」と申しましたら翌日参りました。
中を案内して二人で営門から帰途につきましたが、あいにく雨が降ってきました。雨具は二人とも持参していなくて、雨はそれほど強い降りではありませんが、家まで距離があるので相当濡れるのです。
和尚が「早く早く」と言いますので、急ぎ下宿について驚いたことは私も和尚も共に濡れていないことでした。
神変3 巡査の足の切断
和尚は大変巡査を怖がります。話によると石川県であまりに不思議な事をするので、警察に連れていかれ取り調べを受けて巡査に足を蹴られました。
その蹴った巡査はその晩から足が痛みだし、やがて爪先から腐り始め遂に病院で膝下を切断したそうです。又他の事件で免職になって,乞食同様に落ちぶれていきました。
和尚は取り調べ中弘法大師の悪口を言われて、自分のことはともかく大師への悪口は許せないと憤慨していました。
神変4 人の体に墨を付ける
ある朝宥明上人の兄(兄は欲深くて、無欲の上人からお金をよくせがんでいた!)自宅に来て、「宥明が止まっているか?」とソワソワしながら訪ねてきました。
「今いません」と答えて、その落ち着かない様子を見て「何か急用ですか」と尋ねると、「私の顔に墨を付けました」と顔を指さすと、右の顔に髭らしき墨がついてどんなに擦っても取れないそうです。それで弟のせいだなと駆け付けた次第です。
和尚がだれかに墨を付けてやろうと思ったら、その人の皮膚に墨が付いて洗っても落ちません。和尚が紙でその上を拭いますと綺麗にとれるのです。
大佐はどうやって墨が付くのか観察していたら、大佐の煙草盆(たばこぼん)の片面を木炭でごしごし擦って、それを払いながら付けたい人に思念を送れば付くのが分かりました。
神変5 空中移動
和尚が連隊に遊びに来て高所にかけてある梯子を下駄のまま登りますので、下から「危ない危ない」と声を掛けましたら、かなり高い所からそのまま飛び降りました。
その時連隊長も一緒でしたので、多分連隊長も危ないと叫んだと思います。しかしそのまま姿が見えなくなって消えてしまいました。
すぐ下宿に帰りましたら和尚は火鉢の前で煙草をふかしながら、私を見て「どうだ連隊長さんも驚いただろう」と申しておりました。「今度は軍艦の帆柱から、華族様の目の前で飛び降りて見せたい」とも言っておりました。
神変6 水面を歩く
和尚が福島の町から伊達に行くには、どうしても阿武隈川を渡らなければなりません。和尚が船で渡ろうとした時には、大勢乗せた渡し船が、ちょうど岸を離れて出発した時でした。
和尚は例の茶目振りを発揮するつもりだったのか、川の上をすたすた歩いて向こう岸に渡ったそうです。「船の乗客がこれを見て驚いていたよ、実に気持ちがよかったね」と話していました。
そこで大佐は「それなら、この自宅前の池を今すぐ歩いてくれ」と言いましたら、「 訳はない 」とそのまま下駄をはき、池の上を歩いて向こうの便所の方へ行きました。
大橋大佐の妹の話
大佐の妹で平田満恵という方の話がありますのでこれも紹介します。和尚は妹さんを可愛がっていたそうです。
私が初めて宥明さんとお会いしたのは、19歳の時で兄が山形連隊に勤務しているときの知合いということで、最初は薄気味悪く思っていましたが、実際は誠に子供のような純真な方です。
又半面恐ろしいところもお持ちでした。非常に私を可愛がってくれて「投げ筆をしてやるから」と申されました。
少し離れた4畳半の床の間に紙を置き、私を別な場所の縁側に立たせて私の後ろから筆の先にちょっと墨を付け、光明真言を唱えながら私に筆を持たせました。
「それ投げろ!」と言われて投げましたら「それ!叶ったぞ!床の間の紙を取ってこい」と言われ、離れた部屋の4畳半の紙を取ってきて広げてみると、なんと紙の中央に梵字が書いてあり上にはカラスが2羽描かれています。
この時和尚の申されるには「このカラスは良い事があると、家人に聞こえるように3度鳴き、悪いことがあると家人に聞こえるまで幾度でも鳴くから気をつけているがいい」との事です。
私が平田家に嫁いでから何年か経ち、ある時茶の間で子供と話していたら「ジイージイージイー」と3度鳴きました。初め何かと思いましたが、投げ筆のカラスが鳴いたのだということが後で分かりました。
それは「主人の勤務が岡山に変わった時でした」と続きます。恐らくご主人の栄転でしょう。
妹さんはかなり不思議なことを他に数多く体験されていますが「話しても誰も全く信用してくれないでしょうが、正しく事実そのものです」と書かれています。
* 尚高橋宥明上人のことは検索すれば見られますのでご興味のある方はお調べください。
この世には常識では測れない世界があることの事例です。今後世界の大変動に際して、新しい時代に入るには、今の三次元・物理世界の考えだけでは乗り越えられないと考えます。
これらの事例は見えない世界と無限の可能性を人が本来有していることの理解に役立てていただければ幸いです。
「2028年頃から、透視能力、空中浮遊、瞬間移動、念力等の特殊能力を持った子供達が多く生まれ、これらの超常力が一般的レベルまで認知されるまでになるだろう」とスピリチュアルで有名な並木良和さんの言葉もあります。
超常力が不思議な力ではなく、当り前の世界になる日が来るのが今から楽しみです。
原田 祖岳(はらだ そがく)
1871年福井県小浜市生まれ 1911年から1923年まで駒沢大学教授 曹洞宗の修行法を基本として、臨済宗の公案修行を取り入れた折衷派として知られる。非常に厳格な人物で90歳まで接心を指導した高名な禅僧。