宗忠教祖の病説法について 「いのちの教え」山田 敏雄著より抜粋
心を強くすることの重要性
宗忠教祖の高弟河上忠晶が著した「宗忠大明神御伝記」に病を得た時の心構えを,説いた宗忠教祖の説教です。現代でも十分通じる内容になっています。
そして黒住教の教えは「祈れ、薬(くす)れ」と祈りと薬の活用の両方を、病気治しに最大限活用する立場をとっています。
このブログでは、心を重視した治し(なおし)を参考として紹介していますが、最新医学を軽んずる考えは毛頭ありません。医学上薬で治る病気は当然ながら使用すべきです。
宗忠教祖も薬等は積極的に使用されていましたが、病気になった人の心理に対して次のようなアドバイスをされました。
病気の際の心構え
『 皆さん、身の悩みはどれほど耐え難くても、それをものともせず、思いをしずめて、わが魂を動かさないようにすることを、病気にかかった時のこころ構えとしなければなりません。
世間の人は体だけを大事と思い、心の大事なことを知らないから、体の養いは厚くもてなしても、心の養いは薄くします。
心が主であり、肉体は従です。
たとえば心は正実(しょうみ)であり、体は粕(かす)です。粕を尊んで、正実を軽んずるのは本末転倒です。心が強ければ体も強いのです。心が弱ければ体も弱くなります。
心の弱い人は、病気のために自分の体を失うことを、ついつい恐れて、心を悩まし苦しめるために、心はいよいよ弱く小さくなっていきます。体が弱くなれば、薬も役に立たない程になり、もろくはかなく体も消えてしまいます。
若死にと長寿の分かれ目になる境目があります。それが「とどまり」という考えです。
その「とどまり」とは、病気で体が亡くなることを恐れる思いを打ち捨てて、病気にかかっても心に思わない気にしないことです。
世の中の死者の大方の原因は病気を恐れる思いが深くて、薬よ! 鍼よ! 灸よ !と心配するあまり大事な心を弱く小さくするためです。本来ならば100年後まで保つはずの身を、夕べの露としてしまうのです。このことをよくよく心得てください 』
以上
この説示では[肉体は従であり、心が主である]ということです。これは全くその通りです。このところをよく理解してくださいと詳しく説いておられるのです。
白隠禅師が夜船閑話での説教で「少しの病気を、あたかも重病のように深刻に考え、気もそぞろになり精神の安定を欠き、その結果本当に重病に陥ってしまう」ということと全く類似しています。
病気になったら、くよくよ心配する癖がついて逆効果になっていることを反省しますが、一念発起してこころを強くする習慣づけをしたいと思っています。
瀕死から生き返った伊東左兵衛の奇跡
宗忠教祖がある弟子にあてた手紙に伊東左兵衛なる人物が臨終の床から生き返った例があります。
「この5月頃、伊東左兵衛殿が26年来のりゅういん(胃の病気)で治療の施しも出来ないくらいの重病になられました。治療もいろいろされましたが、その効果もなく食も薬ものどに通らなくなり、お亡くなる寸前までになりました。
ご本人も覚悟を決められておられましたが、私(宗忠教祖)に頼みがありお話をさせていただいたきましたので、ご本人に向けて
『ご覚悟はもっともです。しかし「病を気にして心を痛めてはなりません。心は天照大御神と一緒ですから天にお任せする」ということに気持ちをお決めください。
そうすれば病気もすぐ治ります』と申しましたところ不思議にも26年来の病気がそのまま治りまして、20日振りに藩邸に出勤されました。まことに夢のようです。」という内容です。
病は気からといわれますが、たとえ瀕死の状態でも教祖の教えを信じ切ることで奇跡が起きたと言えます。このような奇跡譚を軽んじてはならないです。
旧石器時代~縄文時代からの太陽崇拝
下記を爽やかな日の出時に、昇りゆく圧倒的エネルギーの太陽を見ながら、祈り唱えますと実に気分が爽快に、晴れ晴れとします!日本人に生まれて良かったと実感します!
天照大御神様!(アマテラスオオミカミ)様
どうぞ* わがご分心(ぶんしん)を
昇る朝日のようにもっと大きく
いきいきとしっかりお鎮(しず)めください。* オーー オーー オーー
* オーオーオー(神へのごあいさつ。オーは長く伸ばしてオーーーーと真剣に心を込めて発声すれば本当に神と会話できるような気持ちになります。実際に発声する必要はありません。)
尚上記以外唱えやすい言霊を各自創作しても構いません。大らかな気持ちで5~6回 (心の中で)唱えます。又雨雲の場合でも日の出・日中時間いつでも出来ます。