• 太陽の恵み

古神道霊験秘話より 大嵐の中のご神事

 

 

   この話は、海上におこける神事に起きた非常に不思議な話です。

 

上記の古神道霊験秘話には不可思議な話が多く載っていますが、特にこの海上神事は滝沢宮司が「あまりにも不思議なことなのでここに記(しる)しました」と述べられています。尚滝沢宮司は全国150近くのご神事を奉仕されてこられた方です。

 

  神事の目的

 

 

この神事を執り行うことは神界からの御使命によるもので、高千穂神界(伊勢神宮の御神璽が高千穂山頂に鎮座されている)と海洋神界との一大結縁の最重要神事です。

 

その目的は魔性の海洋浄化を目的として人類滅亡阻止、地球救済の大神策です。魔性の反撃が強力であるため、魔払いの秘法を神々より授けられていました。

 

滝沢白竜宮司は昭和29年9月18日夜八幡神社大神よりお呼び出しがあり神社に参拝いたしますと、八幡神社の大神と豊玉姫大神がお出ましになられ、山川沖海神界神事の御示しが下されました。

 

山川港より出発

 

宮司は山川港より神事の目的地の神之瀬(かみのせ、開聞岳と佐多岬神社を結んだ線の中間点、鹿児島湾入口。鹿児島湾内の神瀬灯台ではない)に向かいました。

 

神之瀬は海神の竜飛命(りゅうひのみこと)が祀られています。引き潮時に波の上に岩がわずかに出るところで、出入りの船は用心深く航行する場所です。

 

出発時は晴天無風の理想的な日和で、皆この恵まれた天気を祝福していたのです。山川港から参加者全員出発して、船は静かな海を順調に目的地に向かって行きました。

 

突然大嵐に遭遇する

 

かれこれ15分位走ったかと思う頃何の前触れもなく、突然爆発が起きたような突風が吹き始め大暴風雨となって海が逆巻き真っ暗になって荒れ始めました。

 

この山川沖神事は神より「可成りの邪魔を覚悟せよ」と明示され、神界重秘の「破邪の剣法」を予め伝授されていました。

 

これが魔性の大反撃とは気づかず、いわゆる自然現象とばかりに思い込み宮司は船酔いの最中でした。「まったく霊的には素人同然で恥ずかしい次第です」と後に言われています。

 

相当大きな船に乗っていましたが、大揺れに揺れて沈没の危険もあり全員が真っ青になったのです。

 

大波浪が逆巻いて船は大波で突き上げられ次は逆落としにどしんどしんと海面に叩きつけられ、不安と恐怖で婦人子供らは「キャー助けてー」の叫び声が船内に次々と上がりました。

 

嘔吐する者もいれば、もう中にはぐったり死んだように船の揺れに合わせて右、左にごろり、ごろり動く者もいます。宮司は激しい船酔いの為10回以上の反吐を繰り返し、それをチリ紙で拭いぐったりと壁に寄りかかっていました。

 

この異変を鎮めるには祈願修法をするにもひどい船酔いのため思うように出来ません。そのとき家内に「もしものことがあれば、私達の責任ですよ!」と強い調子で言われましたが、もうどうにもできない状況です。

 

佐多丸の船長は「鹿児島湾で相当長い年月航海をしているが、こんなひどい嵐は始めてだ!」とのこと。

 

上甲板の上にある船長室の窓ガラスが大波浪で叩き割られ、血だらけの手で舵(かじ)を握って操縦しています。神事に血は厳禁、魔性の神事への大反撃です。

 

しばらくすると水先案内人から「着きました!」の大声が上がりました。その瞬間我に返って大揺れの船室を這いながらやっと船長室に安置してあった神物と神饌を手にもって、よろけそうになりながら甲板に移動できました。

 

「山川沖の大神様、現場につきましたが、ご覧の通り正式の祭典奉仕ができません。左舷にご神物、ご神饌を放り込みますからお受け取り願います!」と丁寧にご祈念しました。

 

一転 静かな海になる

 

そして逆巻く怒涛の中にドブンドブンと放りこんだのです。そうしますと今の今まであれほど猛り狂っていた暴風雨が、ものの見事に瞬時に消え去り、出発時と同じく無風晴天に戻ったのです。

 

それはまことに魔術みたいでした。一同この信じられない現象に気が抜けたようにポカーンとして、口もきけないほどです。

 

これはこの場に居合わせた者でないと、とてもその暴風雨から突然無風晴天に変わった状況がつかめません。

 

やがて方向転換して山川港へ帰り始めたころ一同がやっと正気を取り戻しはしゃぎ出し歌さえ出始め、まさに地獄と天国を味わった気分になりました。

 

そして山川港に帰り着いてみると、雨の跡が僅かにぽつぽつあるだけで平穏そのものです。我々があれほど悩まされた大暴風雨など全く別世界です。

 

神のお導き

 

真っ暗な暴風雨の中をどうして目的地までたどり着けたか、その理由を滝沢宮司は次のように述べています。

 

今回の水先案内人は黒島玄吉氏で九州商船の課長さんです。鹿児島湾入り口の神之瀬を正確に教えてくれたのもこの方です。

 

大嵐の暗黒な中で全く見通しがつかず、船長の勘だけを頼りに進行していましたが、黒島氏がそろそろこの辺りではないかと船長と話をしていると、真っ暗闇の前方300メートル先に直径3メートルほどの黄金色の柱が立ち、こうこうと海面を照らし出したそうです。

 

「あそこだ!」と船は猛スピードでばく進して、船長室より「着きました!」と叫んだ次第です。これは正に神のなされる業(わざ)です。ご神事決行を魔性から守り給うご神徳です。

 

いままでの神事ではこうしたことはしばしば起こっていましたが、これほど激しい魔性の反撃に出会ったのは稀な事でした。

 

さすがは高千穂神界と海洋神界の結縁線を、邪魔して断ち切ろうとする魔性の反撃は想像以上です。魔性はこのご神事を邪魔するために大暴風雨を起こしたわけです。

 

その後八幡神社に参拝してこの度の山川沖神事の目的達成をご報告いたしますと、大神が出てこられご機嫌麗しくニコニコ顔でねぎらわれて「ご苦労であった。汝に褒章(ほうしょう)を取らす」と仰せられました。

 

そして目も覚めるほどの黄金の御装束一揃いをお授けになり、無事海洋神事が完了したということです。

 

尚滝沢宮司はこの大事な神事前に準備として「神々のご啓道により慎重なる祈念、修法と無言潔斎21日間」という朝に夜に厳重な修行を神より課せられた記述があります。

 

滝沢白竜宮司のように以前から世界平和と繁栄のために人知れず各地で神事を、長年重ねてこられた多くの方々のご奉仕に対して深く衷心より感謝いたします。

 

そして新型コロナからウクライナ戦争、今の大激動期に向けすでに70年近く以前から、周到に世界平和に向けてご神璽活動を長年真摯に継続された滝沢白竜宮司に頭が下がります。

 

* 滝沢 白竜(たきざわ はくりゅう)  明治42年長野県生まれ 戦後に神道天行居の鹿児島教会長に就任。昭和49年奈良県葛城山麓に葛城天剣神社を鎮座し、同宮司に就任。古神道の昂揚運動に尽力した。神道活動は50年以上に及ぶ。