文化11年11月11日冬至 日の出時刻の 天命直受!
教祖は一息毎に感謝され、一日毎に有難さに溢れて過ごされました。 やがてお風呂に入ることができるまでに回復され、その後に完治されたということです。
そのときのご様子は星島良平著「教祖宗忠神御小伝」に「強いて湯あみして、日の神を拝し給うに、長年のやまい朝日に霜の消ゆるが如く、一時に全快し給えり」と書かれてあります。
瀕死のご日拝から2か月目のことになります。 教祖はすぐ床上げされ、今村宮にお礼参りをされましたが、途中出会った村人は「黒住の旦那様のゆうれいが出た」と皆がびっくりした話が残っています。
それからの日々は、天命直受の日まで喜び溢れて過ごされたとされています。
天命直受
文化11年11月11日冬至朝 いつもの通りお祈りを捧げられていましたが、山の端から昇ったお日様が突然大きさを増し教祖めがけて飛び込んできました。
教祖は思わずその大きな日の光を、そのまま「ごっくん」と吞み込まれました。
呑み込まれた時の気持ちは大歓喜大感激され、到底言葉に形容し難いほどの大きな喜びであったとのことです。
三日三晩呵々大笑(かかたいしょう)されました。家の前を通る人にも聞こえるほどの大きな声で笑いつづけられました。
古来禅の達人たちの大悟された時の呵々大笑の様子が、いろいろありますがさすがに3日連続の呵々大笑は、記録にないと思います。
禅の悟りでは長年の修行後悟って嬉しさのあまり、一晩中池の周りを踊り歩いたとか、
寺の境内の古い大木一本一本が「おめでとう」と歓喜中の本人に、語りかけてくれたとか、
全宇宙が、祝福してくれるような別次元の喜びと表現されています。
教祖宗忠神御小伝には「その年の冬至の朝、日の神を拝し給うに、陽気胸元に徹し、有難く、嬉しく、思わず日の光を呑み給いしかば、心にわかに快活(いさぎよく)になり、初めて天地生々の活きものを摑まえ給えり。教祖35歳の御年なり」と書き記されています。
太陽の恵み
教祖は「我元来父母の死を悲しみて心を痛め、陰気になりしより大病になりたるなり。面白く、楽しく、心さえ陽気になるならば病は自ずから治るはずなり。」と天命直受という神人一体の境地を会得されました。
「一切万物の親神が、天照大御神であり、人は天照大御神の分け御霊(みたま)をいただいている」ということを悟られたのです。
釈迦は大悟の際金星が口に飛び込む経験をされ、又空海も明けの明星を同じく飲み込む経験をされました。
我が尊敬する五井先生は、宗忠教祖をとても尊敬されていました。おそらく歴史上稀なる神人が、わが国にお生まれになったと言っていいでしょう。
船が沈没を免れた話
嵐の海をあわや船が沈まんとする時に、その船に乗船されていた宗忠教祖が和歌の懐紙を嵐の海に投げ込まれて、一瞬にして海が静まって船が沈没を免れた話があります。この話はこれで終わりません。
当時付近の小舟も嵐に巻き込まれて、中には沈んだ船もありましたが、たまたまその沈没船に乗っていた人の話です。
船がどんどん沈んでいって、それから人だけ海底から海上の上空まで、一気に5~6メートル近くも、投げ出されるように上昇し奇跡的に助かった話があります。
後で助かった人伊東定三郎がどうして助かったのか分からず、助かったのは別な船におられた教祖のおかげだと後から知り、熱心な信者になられました。
このようなお働きの神人誕生が、天命直受でした。
神人とは
ここで神人という言葉は「太陽の神人」の作者山田雅晴先生によると、歴史的神秘家 ルドルフ・シュタイナー、イマニュエル・スエデンボルグや偉大な霊能者とはもう一段上の人類の師といった釈迦、キリスト級を指しています。
恐らく日本ではあの空海と双璧をなす別格のお方と考えられます。
共に目指そう
小生は学生時代から悟れば真の歓喜があることを、禅から学んで知っていました。
呵々大笑の底抜けに明るい世界は、師からよく聞かされたものです。禅の古典類は悟りの歓びと高い境地が多く書かれています。
その歓喜の世界に憧れて坐禅からその喜びを得ようとひたすら坐禅に励んだ時期がありましたが、結局果たさずじまいに人生を終わろうとしています。
せめて教祖の万分の一でも本当の活きものを掴まえ、頭ではなく確かな実感として神人一体の境地を掴みたいと願っています。