国難突破 物語「赤木 忠春」より 日本人のほとんど知らない歴史秘話
幕末の国難についてまだ多くの方が知らない歴史秘話があります。それは蛤(はまぐり)御門の変のことです。
1864年長州藩は兵を率いて入洛し武力をもって京都御所に押し入ろうとした事件です。事前に京都守護に当たっていた会津・薩摩の兵と長州の兵が衝突して、京都中が全焼の恐れがありました。
戦いが始まり孝明天皇のお住まいの御所近くに、砲弾が落ち御所内が大混乱に陥りました。
このままでは天皇に危険が及ぶ恐れがありましたので、御身の安全のため比叡山へ一時逃れる案が討論されました。
結局結論が出ず斉明天皇が普段敬愛しておられる宗忠神社に「この大事をいかが思うか」とご神慮をお伺いになることになりました。
ご動座無用!
御所の使者が神楽岡宗忠神社に早馬で向かい「主上のご動座いかに? ご返事あれ!」と問いますと、
事前からこの件を潔斎して祈念していた赤木忠春高弟は
「主上のご動座無用!万一ご動座なされば、天下麻のように乱れましょうぞ!断じてご動座なきように!」と大声で使者に返事されたということです。
孝明天皇は比叡山への避難を即座に中止され御所内に留まることになり、その結果薩摩・会津連合軍が勝利を収め長州藩が朝敵になったのです。
孝明天皇は日頃から宗忠神社の宗忠教祖を深く敬愛しておられ、
玉鉾(たまほこ)の道の御国にあらわれて、
日月(ひつき)とならぶ宗忠の神
と伝えられている歌をお詠みになったくらいです。御所内で緊急事態が起きるたびに宗忠神社を正式な勅願所としてご神意をお聞きになられていました。
このご動座中止の御判断が京都を救い、ひいては明治維新の歴史が大きく変容したかもしれない可能性を阻止できたことになりました。
もし比叡山へ動かれたら会津・薩摩の連合軍は戦意を失い、戦いの形勢は逆転し混乱の極に達し、御所と京都は火に包まれ日本の歴史は大きく変わっていたことでしょう。
神楽岡神社は「天照大御神とご一体の宗忠教祖を祭る神社」です。そこで命掛けの祈念をされた赤木高弟は大御神・宗忠教祖からのご神慮による動座中止を宣言され、そのことが京都や日本を守ることになりました。
この事実を知る人は少なく隠れて表に出ておりませんが、実は日本にとって大きな出来事でした。
まさに天照大御神がわが国を守る宇宙大の働きのご発動でした。こうして神国日本は天照大御神より守られ、しっかり守護されていることを国民は感謝しなければなりません。
2024年以降 日本は新たな国難に向かう!
今後国内外の状況が複雑化して災いが我が国に及ぶ状況になっても、国民が一つになり大御神の下に我が国土を必死に守っていくことが大切です。
2024年秋中国による台湾有事や感染症爆発も想定されます。又自民公明の退潮で政権の交代時期でもあります。どうなるか分かりませんが、このような国家的危機に対して、国民はどう対処すればいいのか真剣に対処すべき時期が差し迫っております。
意識を変えて国民の力を結集すべきです。一致協力し国難を乗り越えて、平和国家を目指すべきです。
今後我が国は世界を平和に導く世界のリーダーになろうとしています。日本は世界と地球を救う重大なる責務を太古の縄文時代から、大和国の運命として背負っております。
日本なくして地球の平和はあり得ない。ここを自覚して古代からの霊的エネルギーを継承して発揮する時代が必ず到来します。
恐らくそのような新時代が到来するまでに、地球上の人類は相当の割合が消えていなくなるでしょう。極めて厳しい淘汰をくぐり抜けて、どうしても子孫のために生き通さなければならない。たとえわずかな生存者であってもです。
勿論日本という国だけではなく、地球そのものも天照大御神から守護されてきました。それは古代人の太陽崇拝の痕跡が、世界中のあらゆる遺跡から多数見つかっていることが何よりの証拠です。
宗忠教祖は太陽を生命ある愛の意識体として見ておられました。教祖は自らの心を悩ますことが親神の大御神をも傷つけるものとお考えでした。単なる物質的核エネルギーではなく、人の心に多大なる影響を与える祖神です。
「本(もと)を忘れまいぞ。その元と申すは畏(かしこ)くも天照大御神の御事なり。誠に尊きこと極まりなく、有難きこと限りなく、天地の間一切を生じ一切を司(つかさど)り、
一切を統(す)め給う大御神にまします。ご神徳によれば一切何事も成就せずということなし」と宗忠教祖は称えておられます。
というのも我々は3次元の物質主義の考え方を、そろそろ卒業しなければならない時代を迎えています。五次元の新地球(精神世界)への移行期に今いることを我々は意識し、行動しなければなりません。
そうして尊い地球を平和に導き、明るい世界を築くことがわが日の本大和の大使命です。