赤木高弟の開眼 筏(いかだ)仙人の話
筏(いかだ)仙人の話
昔あるところに正直正兵衛という阿呆なくらい正直な男が、仙人の住むと言われる蓬莱国(ほうらいこく)に死ぬほど憧れて、そのような国に是非とも行ってみたいと思い焦がれていた。
会う人ごとに「蓬莱国は知らないか」と問い回り、ひたすら旅を続けていた。だが誰も知る人もなく教えてくれる人もいない。それでもひたすら諦めずに、とうとう出羽の国(秋田県)まで探しに行った。
そこで悪賢い米商人と出会って、米商人はこの馬鹿な正直正兵衛を騙して利用してやろうと考えた。しきりに探している正兵衛に「教えてやるが、それには3年間米を踏んで休まず働いたら、褒美として蓬莱国を教えてやろう。」とタダ働きをさせた。
その話を信じて正兵衛は無我夢中で懸命に働き約束の3年の日が来た。「今日で約束の3年が経ちましたので、蓬莱国を教えてください」とお願いした。
米商人はいろいろ思い巡らし、騙して働かせたことを白状するどころかこの男を殺し亡き者にしようと計画した。
「そうか約束の3年が来たな!今晩約束通り蓬莱国へ案内しよう。ついて来い!」と近くの断崖絶壁に連れて行った。
「いいか、わしの言う通りにしろ。あの木に登れ!」と命じた。その言葉を信じ切った正兵衛は、断崖絶壁に突き出ている木を言われるままに素直に登っていった。
そして登った正兵衛に向かって「足を放せ、左手を放せ」と次つぎに命令した。そしてとうとう最後に残った右手すらも放せと言った。
信じ切っている正兵衛は、その右手も放してしまった。そのまま谷底に落ちていったかに見えたその時、にわかに雲が現れて正兵衛をそのまま乗せて天の蓬莱国に運び去って行った。
後は天上の楽の音と芳香が漂い、悪意のある米商人の心も清めたという。これが筏仙人の話です。
筏(いかだ)仙人の話の真意とは
馬鹿なお人よしを騙(だま)す話に見えますが、実はとても深い含蓄ある内容の話です。禅に香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)という公案(師匠より禅学徒に課す問題で理屈では解けない超難問 )があり、それとよく似通った内容です。
この公案は禅の熟達者向けで、究明してもなかなか難しい上級者レベル(難透)として知られています。この禅問答のほかに、高い場所で両手を放す百尺竿頭の公案もあります。いずれもギリギリの心境を修行者に問いております。
宗忠教祖がこの話をされたのは禅問答の心境の側面からではなく人の誠(まこと)を取り上げておられ、「信じきることの大事さ、尊さ」はたとえ相手が邪悪な心を持っていようとも、ご神力に必ず通じることを述べておられます。
赤木高弟の大感激
赤木高弟がこの話に大感激されて涙を流され、その場で「8年間の失明が治り開眼された」のは有名な話であり、やはりそれだけの理由があるように思われます。
宗忠様のお力と赤木高弟の大感激の誠が天に通じたことです。結局信じ切ることは全てにかなうことになります。病気が治るだけではなく一切が成就します!此のことに全てが尽くされているようです。
終生 赤木高弟は宗忠様のご恩に深く感謝され布教行動に邁進されました。その後の行動がすべて宗忠教祖中心であったことは、高弟の歌に宗忠教祖への一途な賛歌が多い事に集約されています。又吉田神道への命がけの「大明神」請願行動もあります。
初めての説教で筏仙人の話に深く心を打たれ、神のご神徳を宗忠様を通して「おかげ」を受けられたことがすべてでした。学問があるが故に疑い深い知識人だった赤木高弟が、神への信仰に大転換された話です。
宗忠様の奇跡的治癒には、必ずといっていいくらい大きな感動と感涙が病人側にあります。
現代医学や物理世界・三次元世界をはるかに超越した神(天照大御神)・宗忠様と病人の3者の高い波長が瞬時に治癒を呼び込むのでしょうか。それが誠の世界なのでしょう。
筏仙人の話を理性的に判断すると単なるおとぎ話になりますので、真の意味は何であるかを問い何回も読み考え、噛み味わう必要があります。
高弟の開眼における奇跡は特定の人だけのものではなく我々凡人でも、皆等しく体験できるものです。神が人を差別するはずがありません。神の領域に人はだれでも入れる資格を持っています。
医者が匙を投げるような難病すらも必ず治せることは、すべての人に現れる現象ですしその人の信念によります。「どうしても治したい!治してあげたい!あなたの一途な気持ちは神に必ず通じます!」
今後コロナ後に多発するであろうワク○○後遺障害にも役立つものと信じています。
「諦めないで、挑戦してみませんか!治る訳がないと思わないで、奇跡を起こしてみませんか!」