生まれて始めての営業経験より
不安を抱えてのスタート
今まで営業をやったことのない自分が、いきなり営業会社に飛び込んで、高校生を対象とした大学受験教室の営業生活を始めた。脱サラから再度サラリーマンに舞い戻った50歳位の時の話である。
始めの1~2年は営業成績下位の全く自信のない営業マンだった。稼ぎも少なく、大学、高校、中学進学を控えた育ちざかりの3人の子供をかかえて、生活に苦労して途方にくれていた。
生活に目途が立たない不安感がいつも頭から、こびりついて去らなかった。この不安感が自分を、猛烈社員に追い立てた原動力だろうと今にして納得できる。
営業成績が全ての世界は苛烈なものである。社員の人間性、個性、創造力すべてが、ひたすら契約をどれだけ取るかで評価される世界である。そして上下に振れる成績グラフが、収入としてキチンと反映される。
仕事の内容は電話営業で関心のある生徒宅に直接訪問して、教室での少人数クラスでの指導を勧誘する仕事だった。
今なら個人情報に抵触するような仕事であろうが、当時はまだ規制がゆるくまた大学入学が今ほど容易ではなく、親も成績の悪い子供を大学入学させるのに苦労していた。
かなりの高額の授業料だった。そのことが営業をやっていて、最も心を痛めていたが偏差値のかなり低い生徒が教師とウマが合いエンジンがかかると驚異的に成績を伸ばしていき、難関大学を合格していく事実を、数多く見てきて驚いたものである。
頭はいいけど手の付けられない生徒が、東大に現役合格して生徒の親から「ようこそあの時うちの子を、勧誘していただきました!」とお礼のビール券をたくさんいただいたこともある。手を焼くこの生徒の直接指導にさんざん苦労をした先生を差し置いてである。
猛烈社員
そのうち営業成績も上がっていき、全国展開している多くの営業マンの中でいつもトップグループだった。この営業はとりわけ厳しい営業職種に属し、契約締結に期待できるコネ、紹介の類がほとんどなく毎月全員ゼロからスタートして、自力だけが頼りの実に苦労の多い仕事だった。
それだけに仕事に向かう時は、夜中まで各自アポ取り作業に真剣だった。仲間が自分に寄って来て「お前の側にいるだけでなんだかピリピリしてくるな!」とよく言われた。仲間も肌で感じるくらいの仕事振りだった。ワークホリックと陰口をよくたたかれた。
専務からは「君の仕事に向かう迫力はすごいね。感心するよ!」と半ば冷やかされ、ペースを緩めるように諭されたこともあった。執念がないと続けられない仕事だったように思う。当然辞めていく社員も多かった。今でいうブラック企業に近いかもしれない。
表彰式の経験
年一回の京王ホテルでの表彰式では、派手なスポットライトを浴びてひな壇の階段を駆け上り,社長から優秀カップを受け取る光栄を何度も味わってきた。
大勢の中で名前を呼ばれて、多数のテーブルの間をワクワクしながら、小走りでひな壇に向かう時の天にも昇るような高揚感と達成感はとても忘れられない経験であった。
今でも映画のアカデミー賞受賞など、規模は全く違うけれど不思議に受賞者と喜びの共感を少し浸ることができる。少なくとも斜(はす)で見るようなことはない。
たとえ束の間であったとしても、ただ自分が誇らしくうれしかった。押しつぶされそうな生活の中で唯一のご褒美だった。
賞品として貰ったカナダのずっしり重たい大型メープル純金製メダルは、すべて売り払ってしまいとっくの昔になくなり今一つも残っていない。金高騰の今手元にあれば、1個当たり数十万円はすると思う。多くの銘入り優秀カップも転居するたびに、邪魔の為捨ててしまった。
奇跡が起きた!
それこそ命を懸けての営業努力の後には,信じられないような奇跡が締めの月末によく起きたものである。ガリガリの営業会社だから、月末時の「契約を取ってこい!」のプレッシャーはすごかった。
決まるまでかなりの日数を要する契約がその場ですんなり決まったとか、連続して次々に契約が成立したとか通常ほぼ起こりえない神懸かり的なケースが多数起きたのである。
そのときは個人の努力を超越して、天の助力なくしては起こりえぬ出来事と有難く感謝していた。お陰で、8年間の500件超の総契約数は恐らく社内でも自分位であったと思う。年20件未満の社員が大半だった。
人事を尽くしたあとの奇跡的な体験の数々は、いまでも忘れられない尊い宝となっている。天は間違いなく実在しているとの実感を得た。
今は思い出だけ!
ほとんど年間休みもとらず家族のために死に物狂いで働いた8年間の営業生活は、今ではすべて遠い過去の、自分の記憶の片隅だけに残されたものになってしまった。今はもうそれで十分満足である。
こうして天や神とのご縁を気づかせていただき、命の尽きるまでアセンションへの道を進むことが許されるのだから全く悔いはない。
これから起きるであろう26000年振りの人類の未曾有の大変化(金融崩壊、自然大災害、政治混乱、各地の戦乱、各国の歴史的大転換等)をこの目で見届けることができるのだから、命ある限りこれらの時代展開を自身の目で俯瞰し、自ら身をもって体験しようと思う。
後は天命に任せるのみである。わが営業経験に感謝 !
後記
現在この営業会社は消滅してありません。上記の内容は誇張なく事実そのままを書きました。
ブログの最初に自らの過去のありのままを取り上げたのは、このブログ目的を理解してもらいたいとの気持ちからです。まず自分を認めてあげて魂の向上を目指します。
そのキーワードが言霊であり言霊の霊力です。念ずることにより具現化し、自己の願望を呼び寄せます。
「苦しかったけれどどこか自分には適職だったし、こんな営業はもうないだろう!」とか「周りからあなたは訥弁だが説得力があるとよく言われていたなあ!」 と惜しむ気もしています。自らの教師的で負けず嫌いな資質を、知り抜いている職業とよくぞ出会ったものだとも思います。
当時の愚鈍な自分は少し目覚めるのにこれほどの過酷ではあるが、 運命的な経験が必須だったのでしょう。もっと楽しい気持ちで、仕事に向かえば状況は違ったものになっただろうに!
遙かなる宇宙の広大さと無限の自由を知らずに、がんじがらめの狭い3次元物質世界の中で必死にもがいていた時期でした。健康だからこそ乗り切れた生活でした。